2016年9月9日06時44分

備えられている永遠の住まい 穂森幸一(52)

コラムニスト : 穂森幸一

私は市街地の目抜き通りの5階に長い間、住まわせていただきました。とても便利な場所で仕事の時は助かりました。車の騒音には悩まされましたが、いつの間にか慣れていました。

新しい住まいの場所として、勝手に頭の中でつくりあげたイメージがありました。住まいの近くに木が生えていて、小さな公園が目の前にあり、朝になれば小鳥のさえずりで目が覚めるようなところに住みたい、できれば1階がいいなどと勝手にイメージしていました。

しかし、今度新しい住まいに移り、環境的には自分のイメージとぴったりだったものですから、驚きました。しかも事務所に通うために便利な場所でした。神様は私のわがままなイメージを聞き届けてくださいました。ただ感謝あるのみです。

とても良い環境ですが、1つだけイメージしていなかったものがありました。窓を開けていると、小さな虫が飛び込んできます。今まで住んでいたところは街中の5階でしたので、滅多に虫は来ませんでした。虫1匹に大騒ぎしている自分が滑稽でした。

以前から住んでいる方は、「自然が近いということは、虫がいるということですよ。虫だけでなく、蛙も蛇もいますよ。虫とも共存しなければいけないですよ」と、話してくださいました。

小さなぶよが、ジュースに飛び込むと大騒ぎし、がっかりしていますが、2千年前のイエス様の時代には、ぶよがジュースに飛び込むのは当たり前と受け取られていたようです。

「目の見えぬ手引きども。ぶよは、こして除くが、らくだは飲み込んでいます」(マタイの福音書23:24)

目の前を飛ぶ小さな虫には騒ぐのに、健康に影響を及ぼすかもしれない食品添加物や人工甘味料には関心を示さない自分自身がいます。まさしく「ぶよは、こすが、らくだは飲み込む」状態です。

雨露を防ぎ、強い風を遮る住まいがあるだけでも感謝です。ましてや整えられた自然環境があるなら、これにまさる贅沢(ぜいたく)はありません。主のなさることにはただ感謝あるのみです。

仕事を引退してからも住めるところを終(つい)の棲家(すみか)などといいますが、本当の終の棲家は天にあり、イエス様が用意してくださっています。

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。わたしの行く道はあなたがたも知っています」(ヨハネの福音書14:1~4)

この世では、自分の居場所を見つけられない方々も少なくありません。迫害され、追放されて苦しんでいる人々を真っ先にイエス様は受け入れてくださいます。

イエス様が場所を備えていてくださることを思えば、将来の不安や思い煩いから解放されます。どんな状況になっても心配する必要はありません。

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穂森幸一

穂森幸一

(ほもり・こういち)

1973年、大阪聖書学院卒業。75年から96年まで鹿児島キリストの教会牧師。88年から鹿児島県内のホテル、結婚式場でチャペル結婚式の司式に従事する。2007年、株式会社カナルファを設立。09年には鹿児島県知事より、「花と音楽に包まれて故人を送り出すキリスト教葬儀の企画、施工」というテーマにより経営革新計画の承認を受ける。著書に『備えてくださる神さま』(1975年、いのちのことば社)、『よりよい夫婦関係を築くために―聖書に学ぶ結婚カウンセリング』(2002年、イーグレープ)。

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