2016年8月28日06時21分

なにゆえキリストの道なのか(55)愛の神がねたむのは神にふさわしくない 正木弥

コラムニスト : 正木弥

愛の神がねたむのは神にふさわしくない。

“ねたみ”とは、一般に、他の人間が自分より立派とか、良い状態にあるとか、自分より愛されているとかのため、そうであってほしくない、という感情であって、自己中心的な醜い精神作用であるといえます。その底辺には、自分の栄光を求める気持ち、自分への愛をむさぼる姿があります。

これに対して、神がねたむという場合は、神の、愛の対象に対する強烈な愛があって、その愛の対象が滅びることを許さないというお気持ちなのです。人が偶像を慕うなら、その人は滅びに向かうことになるので、これを阻みたいお気持ちになるのです。つまり、人が救われてほしいという強い愛の裏返しであるともいえましょう。偶像へのねたみというよりは、人の魂への強いこだわりの感情であり、意志であるといえます。神の、人に対する深い愛、強い愛に基づくものであって、人間同士の肉的感情とは異なるものです。

イスラエルの神とその民の関係は、夫婦の関係にたとえられます。夫婦では、夫は妻を愛し、妻も夫を愛すべきです。ところが、妻が別の人を愛するようになると、夫はそれをねたみ、怒るでしょう。ねたみと怒りは表裏一体なのです。ねたみは、強い愛・激しい愛のあるところに生じるのです。あなたは、その強い、激しい愛を、神から感じ取るべきなのです。

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正木弥

正木弥

(まさき・や)

1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。

【正木弥著書】
『仏教に魂を託せるか 〜その全体像から見た問題点〜 改訂版』
『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』
『ザグロスの高原を行く イザヤによるクル王の遺産』(イーグレープ)
『創造論と進化論 〜 覚え書 〜 古い地球説から』
『なにゆえキリストの道なのか』

【正木弥動画】
おとなのための創作紙芝居『アリエルさんから見せられたこと』特設ページ