2016年7月24日19時49分

なにゆえキリストの道なのか(50)神が人を造ったのではなく、人が神を作ったのではないか 正木弥

コラムニスト : 正木弥

神が人を造ったのではなく、人が神を作ったのではないか。神とは、人間と世界をうまく説明するために人間が考え出したものではないか。

人間には思考力が与えられたので、さまざまなことを考えることができます。そのあまり、神概念まで作り上げ、神についてのストーリーまでも作り上げたのではないか、というのです。神は実体上はいないが、いるかのように聖書記者が書いたのだ、と。

これは実質は無神論です。神は人間の頭(思考)の中にだけいて、外界に客観的にはいないのだというわけです。こういう人は、神存在についての次のような疎明資料〔状況証拠〕を全て無視しなければなりません。・・・すなわち、被造物の驚くべき実体、太陽系の精妙きわまりない運行、預言とその成就、聖書の民・ユダヤ人の活力と歴史、慈愛に満ちたイエス・キリストの救いの業、信じる者たちに現れる良い影響・確信・希望など・・・。

神が現実にはいないなら、このようなことは起こり得ないではありませんか。神が現実には“いない”なら、天体の秩序は崩れるでしょう。善悪の秩序は壊れに壊れるでしょう。天国の希望は無に帰し、むなしさしか残りません。

しかし、人がどう考えようと、神は厳然と実在するのです。そしていつか、その神の前で、各自、神にどう向き合って生きたか、どのようなことを考え、どのような行いをして生きたか、を問われることになります。

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正木弥

正木弥

(まさき・や)

1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。

【正木弥著書】
『仏教に魂を託せるか 〜その全体像から見た問題点〜 改訂版』
『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』
『ザグロスの高原を行く イザヤによるクル王の遺産』(イーグレープ)
『創造論と進化論 〜 覚え書 〜 古い地球説から』
『なにゆえキリストの道なのか』

【正木弥動画】
おとなのための創作紙芝居『アリエルさんから見せられたこと』特設ページ