2016年5月5日06時59分

死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―(66)歩み方 米田武義

コラムニスト : 米田武義

歩み方

私は今会社を閉じ、病気治療中であり、何ら仕事らしい仕事はしていない。毎日日記をつけること、お祈りをすること、賛美をすることだけである。その他の日常生活では、妻の手伝いとして掃除、洗濯、料理、皿洗い、買い物、私の健康や趣味として、風呂、英会話くらいである。

外出していくことで主なことは、日曜日教会へ行くことと、週1回市大病院へ行くこと、数回NOVAの英会話に行くことくらいであろうか。ほとんどが感情的でもなければ、狂喜することでもなく、淡々とゆっくりした歩みである。

こういう淡々とした、一見平凡な歩みでも、注意していないといつの間にか自己中心の、自分が前面にいる考え方に陥ってしまう。

お祈りをしているときですら、自分の感情を入れ込んだお祈り、自分が前面に出たお祈りになって、内なる神様の声を聞こうとしない自分に気付くことがある。当然、本当の喜びがなく、また平安もない。何かしら空しい。

「もし、私の歩みが道からそれ、私の心が自分の目に従って歩み」(ヨブ記31:7)

人の心は、その人の目に従って歩む。私たちの心は、注意していないと欲望に従って歩んでしまう。

私たちは、内なる神様のあとを歩みたい。内なる神様の歩みは確実であるから、私たちはゆとりを持って歩むことができる。何か予想せぬことが起こったときでも、常に平安があり、また助けもある。神様という絶対者に従っているのだから、当然といえば当然である。

「私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます」(Ⅱコリント5:7)

神様に従っているときに得られる平安は、弱いようでも強く、喜びは、小さいようでも大きい。

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米田武義

米田武義

(よねだ・たけよし)

1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術国内留学生)で学ぶ。国土防災技術を退職し、米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』。