2016年4月21日10時49分

死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―(64)日記を書いて1カ月余 米田武義

コラムニスト : 米田武義

日記を書いて1カ月余

私は入院していた頃に、ふとしたきっかけから書くことの楽しさを知り、毎日1枚、気楽な気持ちで書こうと決め、約1カ月強の間それを続けている。

最初のうちは書きたいことがいっぱいあり、数日先のテーマまでメモしておくほどであったが、最近は、いざ書こうと思ってもすでに書いたテーマであったりして、題材に困ることが多くなってきた。

2番目の問題としては、なぜだか、日記のように毎日自分の考えを記していくことに、抵抗感や落ち込むような感じを持つようになったことである。

「ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた」(使徒17:11)

“みことばを聞き、聖書を調べた”とある。日常生活を謙虚に注意深く送っていたなら、必ず何らかの疑問点があるだろうから、その解決を御言葉に求める。これは悪いことではないと思う。

日記をつけるのも、そういう点では良いことだと思う。日常生活→御言葉→日常生活適用、となる。むしろ机の前に座って、日々の題材を見つけて、実際は経験していないことを題材にする、そして適用することもなく御言葉を調べることより、よほど実質的で、地に足がついていることであると思う。

「自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、・・・」(ルカ9:24)

これは、信仰生活全般に関して言えることで、命を失った者が落ち込んだり希望を失ったりするのは当然である。日記を書くのは良いけれども、その動機が大切である。哲学者や執筆者になったつもりで自分の考えを書く喜びを味わっていたなら、そしてこのために聖書を利用していたりしたなら、良い書き方とは言えない。動機をあらためて探り、書き方をもあらためるとよい。

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米田武義

米田武義

(よねだ・たけよし)

1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術国内留学生)で学ぶ。国土防災技術を退職し、米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』。