2015年12月20日21時26分

牧師の小窓(7) 福江等

コラムニスト : 福江等

礼拝後の交わりの時に、一人の姉が賛美歌404番の「山路こえて」が愛唱歌であることを告げられました。私自身もこのなんとも哀愁のあるメロディーと歌詞が好きだということや、この歌詞を作詞したのは確か愛媛の人であることなどを語りました。その後、もっと正確に知りたいと思って調べたところ、いろんなことが分かってきました。

メロディーそのものはアメリカのアムジ・チェイピン(Amzi Chapin、1768~1835)が作曲したとされています。日本の賛美歌では名前が「Aaron Chapin」となっていますが、間違いだそうです。ケンタッキー・ハーモニーという賛美歌集に「GOLDEN HILL(ゴールデンヒル)」という題で1817年に発表されています。そして日本語の作詞者は西村清雄(すがお)(1871~1964)という人です。これは英語の歌詞から日本語に訳したのではなく、西村氏がこのメロディーに合わせて独自に歌詞を作ったものです。

西村清雄という人は、同志社を中退し、松山にあった勤労青年のための夜学校(後の松山城南高等学校)の校長を62年間務めた人です。この人が1903(明治36)年2月上旬、宇和島教会で伝道を続けていたアメリカの宣教師コーネリア・ジャドソンの応援の帰り、法華津峠、鳥坂峠で夜を迎えたのでした。大洲までまだ5里もあると思うと心細かった西村氏は、ゴールデンヒルのメロディーに合わせて、一句一句作っていったのでした。一節できるごとに歌ってみたら、寂しさがなくなり、山路を楽しむことができたというのです。かつて西村氏がこの歌を作詞した法華津峠には現在「山路こえて」の歌碑が写真のように立っています。

牧師の小窓(7) 福江等
法華津峠に立つ「山路こえて」の歌碑

西村清雄氏は後に松山市の栄誉市民第一号となっています。また、「山路こえて」があまりにもよく歌われるようになったために、西村氏の歌詞が「In Lonely Mountain Ways」という賛美歌に英訳されて、逆輸出されているのです。

淋しい峠越えをヤコブの荒野での一夜に重ねて主の臨在を身近に覚えた西村氏の信仰が、今もなおしみじみと伝わってくるようではありませんか。

「山路こえて ひとりゆけど 主の手にすがれる 身はやすけし」

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福江等

福江等(ふくえ・ひとし)

1947年、香川県生まれ。1966年、上智大学文学部英文科に入学。1984年、ボストン大学大学院卒、神学博士号修得。1973年、高知加賀野井キリスト教会創立。2001年(フィリピン)アジア・パシフィック・ナザレン神学大学院教授、学長。現在、高知加賀野井キリスト教会牧師、高知刑務所教誨師、高知県立大学非常勤講師。著書に『主が聖であられるように』(訳書)、『聖化の説教[旧約篇Ⅱ]―牧師17人が語るホーリネスの恵み』(共著)など。

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