2007年8月14日12時40分

榮義之牧師「天の虫けら」(33)・・・まもなくかなたの

榮義之牧師

 翌日、警察へ出頭して調書を作成してから、前夜式を終え、聖書学院に向かった。暗闇の中を生駒駅から学院に歩きながら、私は何度も彼の名を呼んだ。「碓井君、生き返ってくれ!俺はどうしたら良いのか分からない。答えてくれ!」しかし呼べど呼べど、聞こえるのは、夜空をそよぐ風の音のみだった。寂しかった。悔しかった。どこにこの悲しみをもっていけばいいのか?



 その時、碓井君が子どもたちといっしょに歌っていた賛美が聞こえたように思った。




   まもなくかなたの 流のそばで 楽しく会いましょう また友だちと


     神様のそばの きれいなきれいな川で みんなで集まる日の ああなつかしや






 私は、風にそよぐようにかすかに聞こえる声に合わせるようにして、夜道に立ち止まり歌い続けた。




   水晶より透き通る 流れのそばで 主を賛美しましょう み使いたちと


     神様のそばの きれいなきれいな川で みんなで集まる日の ああなつかしや



   銀のように光る 流のそばで お目にかかりましょう 救いの君に


     神様のそばの きれいなきれいな川で みんなで集まる日の ああなつかしや



(聖歌687番)


 わずか18歳の生涯、イエス・キリストを信じて1年と少し、輝くばかりの信仰生活を駆け抜けて、天国に行った碓井学君の人生を忘れることはない。その日から、さらに天国は現実味を帯び、イエス・キリストの福音をこのいのち続くかぎり伝え続けることこそ、与えられた使命であることを確信した。



 今日私が牧師として、こうして主のために仕えさせていただいているのは、ただ主のあわれみによるが、天国へ駆け昇っていった碓井学君への尽きない思いも一つの原動力である。



 東淀川での集会は、この出来事の後も、高校生や中学生を中心に続いた。しかし私が受けた痛手はあまりにも大きく、長らく打ちのめされたままだった。その上、様々な要素がからまり、やがて中止するに至る。このあたりの事情については、また後で触れる。



(C)マルコーシュ・パブリケーション




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榮義之(さかえ・よしゆき)



 1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。



 このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。