2013年7月22日08時47分

癒やされる信仰を持とう 万代栄嗣牧師

万代栄嗣牧師
 ルステラでのことであるが、ある足のきかない人がすわっていた。彼は生まれつき足のなえた人で、歩いたことがなかった。この人がパウロの話すことに耳を傾けていた。パウロは彼に目を留め、いやされる信仰があるのを見て、大声で、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した。…「…神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。…恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。」…(使徒の働き14章8節~18節)

 テレビの宣伝で、「あなた作る人」「私食べる人」という宣伝がありましたが、誰かがやってくれれば楽ちんという生き方より、人生は積極的に関わった方が幸せなのです。主の癒やしも人任せにせず、自分の信仰を働かせてみようではありませんか。

 バルナバとパウロが伝道旅行で癒やしの御業を行いました。ルステラでパウロの劇的な癒やしのシーンを目撃した人々は、彼らの信じるギリシヤ神話の神が人の姿を取ってやってきたと言い始めたのです。

 聖書は、パウロがこの人物に癒やされる信仰があるのを見たと書いています。あなたにはどんな信仰があるでしょうか。イエスを信じているでしょうが、果たして癒やされる信仰をお持ちでしょうか。自分の病気は治らないと決めつけたり思い込んだりして、それが固定化し、癒やされない信仰になっていないでしょうか。今日見直してみましょう。

1.癒やしにふさわしい積極的な信仰を願う

 パウロは、群衆の中で、この人物に癒やされる信仰を見たのです。パウロでさえ、聖霊によってそれを見抜くなら、イエスは当然あなたの信仰を見抜かれます。あなたは、信仰があるから教会に来ています。しかし、同じ信仰でもその用い方に、積極的か消極的かの違いがあるのです。

 ここ松山の人はおとなしい人が多く、学校でも先を争って手を挙げることも少ないかもしれません。私が司式をする結婚式でも、みんな席を譲り合って、なかなか前に座りません。牧師として、非常に寂しい思いをすることがあります。教会でも後ろの席に座るという方も、私でなくイエスが来られたら一番前に座ることでしょう。生きているかどうかわからない信仰ではなく、積極的に、信仰の目をきらきら輝かせて主の恵みを求める者になりましょう。イエスが今日、私たちの内に、癒やされる信仰があるのを見られますように。

2.神は祝福の神

 それでは、癒やされる信仰は、がんばった特別な人でなければ手に入らないのでしょうか。パウロが、癒やされる信仰を持つこの男を見つけて人々の目の前で劇的な癒やしをした時、人々は驚いて、彼らの宗教的な理解の中で、ギリシヤ神話の神にパウロたちを当てはめて拝み始めようとしました。パウロは、慌ててそれをやめさせようとして、私たちは生ける神のしもべであり、イエスの福音を語っているだけで、神は、あらゆる国の人々に恵みを与え続け、今は、イエスにより、生ける真の神に立ち返るための福音が与えられているのだと語ります。

 癒やされる信仰を持とうというのは、神の恵みが少ないから積極的に求める方がいいというのではありません。神は、私たちが罪深くて幸せになれないなら、罪の身代わりにイエスを与え、永遠の救いを与える恵みの神、愛の神です。この神の恵みをしっかりといただきたいのです。罪の悔い改めは必要ですが、罰を与える神が怖いから悔い改めるのではなく、祝福の神が、その愛のゆえに、方向転換の機会をイエスを通して私たちに与えておられるのです。イエスによって与えられる恵みの中には、当然癒やしも含まれています。癒やされるべき信仰を自分の中に意識しながら祈りましょう。


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万代栄嗣(まんだい・えいじ)

 松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。

 また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。

 国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。