続・背徳の街のマリヤ~悪魔の花嫁~(2)猫吊り通り

2019年8月9日21時59分 コラムニスト : さとうりょうこ 印刷

その晩、夕食の祈りの後でマリヤは手紙のことを父に話しました。そしていつかマリヤを助けてくれた少女、アンナに会いに行きたいと伝えました。

父はしばらくうつむいて、送られてきたカードを何度も見るとため息をつきました。「危険なことは分かっているね。あの町の主が誰であるか分かってのことだろう?うわさではあの町の地下街では、無垢な子どもや神の愛するおとめたちを、悪魔の胃袋にささげていると言われているんだぞ」

マリヤはうなずきました。「私もそのうわさを聞いていないわけではありません。でも、聖書にはこうあります。『悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである』(エペソ6:11、12)と。恐ろしいのはあの街や人々ではありません。悪魔のことは私だってよく知っているのです。だからこそお父さん、『真理の帯を腰にしめ、平和の福音の備えを足にはき、その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができる』(エペソ6:14、15)という言葉の通りに、歩んでみたいんです。私はきっと大丈夫です。3日で帰ってくると約束します」

父はうつむいたまま手を組み、小さな声で長い祈りを神様にささげました。祈りが終わると顔を上げて、「3日で、必ず帰ってくるんだね」と言ったのです。母はハラハラとしながら一連の話を聞いており、「あんな街にまた娘をやるなんて」と顔をおおって泣きました。

マリヤはその晩のうちに旅の支度をし、朝早く起きると庭の花たちに別れを告げて、家を出ました。その晩は久しぶりに悪夢にうなされずにぐっすりと眠ることができました。両親は駅まで送りに来たがりましたが、家の軒先でマリヤは別れを告げました。

無人の駅に着くと、ベンチに座り長いこと列車を待ちました。マリヤはコンクリートのひびのすき間で咲くシロツメクサに「大丈夫よ、心配はないわ」と語り掛けました。そうは言っても心細さはぬぐえずに、シロツメクサを摘んで胸のポケットに挿しました。シロツメクサはマリヤのポケットから顔を出し、励ましてくれるようでした。

背徳の街まで走る列車が、大きな汽笛を鳴らしながらゆっくりとホームに着きました。大きなリュックサックを持ち上げて立ち上がり、列車に乗り込むと、人はほとんどおりませんでした。

マリヤは席に着くと、送られてきたカードを見つめました。そこに書かれている住所だけが(たぶん)アンナの手がかりでした。背徳の街で暮らしていたマリヤには、その住所がどんな場所かは分かっていました。それは背徳の街の中でも一番深い闇の渦巻く街でした。売れるものは命でさえも売り買いされるといわれます。そこでいくら人が死のうと、誰にも知られることはないとも聞いたことがある町でした。

2年前は家族のためにとけなげに造花を売っていたアンナが、本当にこんな街にいるというのでしょうか。「たすけて」というあの叫びには、どんな背景があるというのでしょう。

お母さんはマリヤにおにぎりをいくつも持たせてくれました。おなかはすいていませんでしたが、手を伸ばし、おなかがパンパンになるまで食べました。するとまぶたが鉛のように重くなり、マリヤはいつの間にか眠りに落ちておりました。

どれほど長いこと眠ったことでしょうか。気が付くと車窓は色とりどりのネオンを反射して七色に輝いておりました。いつの間にか満員になっていた列車の中は、懐かしいにおいが漂います。いろいろな国の人たちの体臭を混ぜたような甘い香りです。マリヤはリュックからクマのぬいぐるみを取り出すと、ギュッとひとしきり抱きしめました。すると間もなく列車は終点の「背徳の街」についたのです。

マリヤは記憶をたどって、あの広場を目指しました。あの広場にさえ行けば、懐かしいおじさんたちもおり、アンナの手がかりがつかめると思ったのです。

駅を出ると、ビルディングの挟間でマリヤは立ちすくみました。2年前とは何かが違う気がするのです。相変わらず、高いビルがそびえたち、煌々とネオンは灯っており、街行く人は思い思いのファッションに身を包んでおりました。背徳の街の住人といっても、以前は歩く人々の目にも人間らしさや愛くるしさが宿っていたはずでした。しかし、今マリヤの目に映る人たちは、その目に炎を宿しているように見えたのです。欲望や怒りや蔑みで、目を静かに光らせて歩いている人たちは、まるで皆が悪魔の愛児となっているかのようでした。

マリヤは怯え、誰にも道を聞くことすらできなくなり、おぼろげな記憶をたどりながら、人と肩をぶつけ合うことのないように身をすぼめて歩きました。マリヤをおいしそうな食べ物のように、なまめかしく見る目もあり、マリヤは震えて走りました。

息せききっていくつもの路地を曲がり、気が付けば広場の入り口に立っておりました。噴水のそばで何人かの人が火を炊いています。鯵の焼ける匂いが漂って、マリヤを安心させました。近づくと、いつか優しくしてくれたおじさんの横顔が見えました。おじさんは、気配に気付き振り向くと、驚いたような顔で皆をせっつき「マリヤじゃねえか?」と言いました。

「おじさん、そうだよ、来たんだよ」。マリヤはそう言い、おじさんの首に抱きつきました。「どうしたんだ、こんな所にまた来るなんて。家のお父さんとお母さんはどうしたんだ?」。おじさんは心配そうに言いました。

「お父さんもお母さんも元気だよ。遊びに来たんだよ、なつかしくって」。「遊びに来るような場所じゃないだろ」。おじさんはうれしそうにそう言いました。そしてマリヤを段ボールの箱に座らせると、水とパンをくれました。焚火を囲む皆が、ゆっくりマリヤを思い出し、そして懐かしそうに笑いました。けれどもやはり、その中に、アンナの姿はありませんでした。

「アンナはいないの?それにずいぶん人が減っちゃったみたいだけど、みんなどこへ行っちゃったの?」。そう聞くマリヤに、皆が顔を見合わせて、顔をしかめました。「マリヤ・・・」。おじさんはマリヤの頭を撫でました。

「ここはあのころとはずいぶん変わっちまったんだ。この広場も安全な場所じゃない。夜中に眠ると、棒で殴って俺らを殺そうとする連中もいる。だから俺らは夜通しこうして焚火をして身を守り、昼間に眠るんだ。あの子は、よく働いて実家に金を送っていたよ。しかしな・・・もう半年も見ないんだよ」

そこに長いひげのおじさんが口をはさみました。「うわさじゃ、『猫吊り通り』で働いているらしい」。「猫吊り通り」・・・それは餌を巻いて猫をおびきよせ、皮を剥いで売る人たちが暮らすという通りでした。その皮が、外国では高く売れるそうで、その街の人たちは豪華な宝石をたくさん身に着けているのです。そして「猫吊り通り」では豚や牛や猫たちと一緒に、まだ幼い少女や少年たちも売られているというのです。

マリヤは咄嗟に顔をおおって泣きました。自分の予感が的中していたことが、とても悲しかったのです。

そのころ、猫吊り通りの裏ぶれたアパートで、アンナは身を横たえておりました。とても疲れておりました。ここでは炊事や掃除に洗濯と、仕事は何でもさせられます。夜は酔客の相手もし、休む暇はほとんどありませんでした。身に覚えのない借金を突き付けられて、この通りにさらわれて、早半年がたっておりました。

同じような境遇の少女や少年たち20人で、10畳ほどの部屋を寝床にしており、休憩ができると横になるためだけにここに戻りました。板張りの床は固く、薄い掛け布団しか与えられておりませんでしたが、いつからかそんな床でもぐっすり眠れるようになっていました。それほどに疲れていたのです。

すると、アンナよりも幼い少年が、アンナのもとに這いつくばって近寄ってきました。その少年は男の子だというのに女物の服を着せられ、目や口に化粧を施されておりました。「ママ・・・」。そう言って華奢な少年は、アンナの横に身を横たえました。アンナは慣れた手つきで少年を抱き寄せ、「ぼうや」とささやき、その頭に口づけをしました。

「ずいぶんこき使われたんだね。ゆっくりやすみなさいぼうや」。母親のようにそう言ってぼうやを抱きしめました。ぼうやは親指を口に含んで、アンナにしがみつくようにして眠ります。そこにトコトコと猫のマルもやってきて、アンナとぼうやの間に入って丸くなり、喉を鳴らし始めました。マルはまだ子猫です。もっと大きくなってたくさん毛皮が取れるようになったら殺されてしまうさだめです。アンナはマルも抱きよせました。こうして、どこにも行けないもの同士、身を寄せ合って慰め合っておりました。

そんな時間が、アンナの慰めでありました。ここはこの世の暗い淵であり、救い出してくれるものは何もありませんでしたが、悲しいもの同士が身を寄せ合う温かさはありました。ぼうやの指がアンナの指をギュッと握りしめました。アンナにとってその指は、まるで世界そのもののように、愛おしくありました。(つづく)

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さとうりょうこ

1978年生まれ。埼玉県在住。2013年、友人の導きにより、日本ホーリネス教団久喜キリスト教会において信仰を持つ。現在、県内の障がい者施設で働きながら、加須市の東埼玉バプテスト教会に通い、2018年4月1日イースターに木田浩靖牧師のもとでバプテスマを受ける。フェイスブックページ「さとうりょうこ 祈りの部屋」。

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