正木弥の記事一覧

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(121)非科学的なことをどうして信じる? 正木弥

神は天地を創造した全能な方。その初めに、土地のちり(地上の小さい物質)で人間の体を造り、命の息を入れた方です。その過程では、私たちの想像もつかないようなさまざまな工夫や精妙な知恵がこらされ、実にうまくできた体を創り上げてくださったのです。

2017年12月09日7時25分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(120)クリスマスは異教的? 正木弥

クリスマス(キリスト降誕記念祭)の日付については、3世紀初めアレキサンドリアのクレメンスが5月20日を推定し、この日を中心に4世紀後半以降、毎年祝われるようになりました。

2017年12月02日8時48分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(119)イエス・キリストはエッセネ派の「義の教師」ではないのか 正木弥

エッセネ派とは、中間時代(旧約聖書の終わりの頃からキリストまでの間の時代)でサドカイ派、パリサイ派に次ぐ第3の宗教勢力でした。しかし、その詳細はなお謎の部分があります。

2017年11月25日6時29分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(118)キリストは2千年前の人、私に関係がない? 正木弥

キリストは、2千年前に単に生きた人ではありません。キリストは人類の救いのために(2千年前、この地上に来て)死に、そして復活しました。キリストはその後、天に昇られ、今は神の右におられ、全世界の歴史を導き、一人一人の人生を見ておられます。

2017年11月18日6時23分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(117)イエスは神なのか? 正木弥

イエス・キリストは人の罪を背負って死ぬために、死ぬことができるよう、人間の体を持って生まれてきました。しかし、単なる人間でなく裏に神がついている方でしたから、その神性の故に復活させられたのです。キリストの復活は、キリストの神性の証拠です。

2017年11月11日7時17分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(116)なぜ信じなければ罪が赦されないのか 正木弥

「信じる」とは、自分の罪がキリストの十字架刑において代わりに罰されたということを信じ、受け入れることです。自分が受けるべき罰をキリストが代わって受けてくださった、ということを認め、信じ、感謝することです。

2017年11月04日5時42分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(115)どうしてそんな死に方をしなければならなかったのか 正木弥

十字架刑は、ローマ帝国下の非ローマ市民に対する死刑のやり方で、残虐なものでした。これはキリストだけでなく、多く実施されていたもので、現にイエスの両横に犯罪人が十字架刑にかけられていました。

2017年10月28日5時47分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(114)キリストが神であったなら、十字架から逃げられたではないか 正木弥

その通り、逃げられました。しかしそれでは、人は自分の罪について罰を受けて滅びなければなりません。このような人間存在を憐(あわれ)んで、神は愛である故に逃げずに、十字架刑を受ける道を選び取ってくださったのです。

2017年10月21日7時35分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(113)キリストは殺されたのに、どうして人を救うことができるのか 正木弥

キリストは単に殺されたのではありません。殺されるような道をわざわざ選んで行って、そして予期した通り殺されたのです。それは、旧約聖書の中に預言されていた通りでした。

2017年10月14日5時20分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(112)神とキリストとの違いは何か 正木称

「神」とは、三位一体の神を指しています。時には、その第一位格である父なる神を指している場合もあります。これに対してキリストとは、「救い主」の意味ですが、歴史上かつて1度だけ、父なる神から離れてこの地上に来られた「子なる神」を意味します。

2017年10月07日5時22分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(111)イエス・キリストは本当にいたのか 正木弥

このことは、4つの福音書に詳しく記述されています。その事実を土台として、弟子たちがイエスの十字架の死と復活のことを宣べ伝え、そのことが新約聖書「使徒の働き(使徒言行録)」の中で、さらには、弟子たちによる「書簡」の中で誠実に記述されています。

2017年09月30日5時12分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(110)自分の栄光を求めることは悪いことではない? 正木称

自分の栄光を求めていくと、往々にして、隣人への愛がおろそかになり、競合するものをねたみ、自分に悪評する者を憎むようになります。悪い評価はそれが正しくてもあからさまにすることを嫌い、時には競争者の失敗・不運を喜び願うようになりがちです。

2017年09月23日6時26分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(109)なぜ性を罪悪視するのか? 正木弥

聖書で、性は大切なもの、良いものとして取り扱われています。創世記1章22節に「生めよ。ふえよ。・・・」とありますが、生み、ふえるためには、性とそれに続く出産が不可欠ですから、それが大切に扱われねばならないことになります。

2017年09月16日5時39分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(108)神を恐れて、びくびくしながら生きるのはバカらしい? 正木弥

神が、人の死まで何もしないのは、その人が悔い改めて神に立ち返る可能性を見て辛抱強く待ってくれているからです。逆にいえば、死後は必ずさばいて精算されるのです。「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル書9:27)

2017年09月09日6時15分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(107)神はこの世界になぜ罪や悪を残しておかれたのか 正木弥

前に述べたように、神は人をご自分に似せて自由意思を持つ存在としてお造りになりました。自由意思であれば、神の言葉に背くことも従うこともできたわけです。その“背く”ことが罪や悪の初めであり、土台であるわけです。

2017年09月02日6時57分

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