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「種が発芽しなければ」-ホーリネス弾圧記念聖会

2011年6月27日12時37分 印刷
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+小寺徹牧師(2011年6月26日、東京都新宿区淀橋教会で)
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 26日、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会(東京都新宿区)ではホーリネス弾圧受難記念特別礼拝が行われた。ちょうど69年前の1942年6月26日未明に、旧ホーリネス系諸教会が当時の政府からの一斉弾圧に遭遇し、牧師たちが投獄、教会は解散を命じられ、信徒たちが路頭に迷うことになった。

 教団が一斉に弾圧され、牧師らが拘置所に閉じ込められ、一寸先も見えないような状態になる危機に陥るときにこそ、人間的な考えで世の中の問題を解決することは不可能であり、ただ慰めと希望を得るために神のみによりたのむ深い信仰の姿勢が開けるようになる。礼拝後の弾圧記念聖会では当時の迫害の最中にあって信仰を保ってきた先人の信仰者らの信仰を振り返り、また現代に継承するための黙想と学び、食事の交わりの時間が持たれた。午後6時からはウェスレアン・ホーリネス教団ひばりが丘北教会(東京都西東京市)牧師の小寺徹(こでら・とおる)氏がホーリネス弾圧記念聖会のメッセージを取りついだ。同氏はヨハネ福音書12章20節-26節を引用し、「一粒の麦が地に落ちて死ぬ」ことで多くの実を結ぶ信仰の姿について説明した。

 メッセージでは、「3月11日の東日本大震災を通じて、人的・物質的被害とともに、世の中の価値観に変化を与える転機も生み出した。物質的な富や自分の名声を守る(自分が傷つかないように防衛する)姿から、人と人との交わりを大切にし、「弱い自分」を認めて互いに支え合う生き方を大切にする価値観、これまでやったことのないことを勇気を出してやってみようという挑戦的な姿勢で生きようとする人など、これまでの生き方から変化を与えようとする傾向が多く見られるようになってきた」ことが指摘された。

 小寺氏は「『一粒の麦』は、そのままにしていれば『一粒』のままであり、いつまでたっても決して発芽することはない。(『種』としての私たちとしてこの御言葉を読むとき、)私たちひとりひとりは『自分の力』つまり『種』の内側からの力だけでは決して『発芽』することはできず、外部にあるものを受け入れていくことによって変えられていく。種が種であることをやめることで、『いのち』が生じるようになる」と説明した。私たちそれぞれの信仰にあっても、私たちの周りに起こってくる出来事に関して、自分の考えを固持しないで、外にあるものを受け入れていくことが大切であり、自分の力では自分が変わることはできない(種だけでは発芽する力はない)ことが強調された。

 自分を変えるために必要なものは、自分の外にあるという。嫌いな物を排除しようとせずに、自分のまわりにある現実をあるがまま受け入れていくこと、自分の価値観で判断しないで、自分の周りの「温度・水・空気」など様々な現実を受け入れ、自分の中に取り込んでいくときこそ「種」の発芽に結びつくという。その上で聖会に参加したクリスチャンらに「自分自身が『種』のように固くなってしまっている姿はないか」点検するように呼びかけた。

 現代社会では「引きこもり」になる若者が多いといわれている。自分が他人から傷つけられたくない、あるいは他人を傷つけたくないという理由で家の外に出て実際の人間関係を築くことを極端に避け非現実の世界に入り込んでしまう人々が多く存在している。小寺氏は、「クリスチャンとなっても、自分がクリスチャンであるということを社会で証しすることで自分が傷つくことを恐れ、『隠れクリスチャン』の様に振る舞ってしまう姿がないか」と問いかけた。

 キリスト教が浸透していない日本社会にあってクリスチャンとして社会の中で伝道していくことは「自分の殻」を破らない限りは困難であるという。ヨハネの福音書12章には、高価な香油をイエス・キリストの御足に注いだマリアの姿が書かれているが、マリアはそのような「自分の考え・思いを捨てて主の御言葉のみを求める姿勢」を示した。ヨハネ12章の御言葉を読み、「自分や自分の欲望を優先して、自分の欲望をまず満たそうとしている姿はないか、そのような罪深い自分をまず認め、神の御言葉を優先する信仰の姿」に変えられていくことが必要であるし、「種」から「発芽」することで多くの実を結ぶクリスチャンとなることの必要性が改めて強調された。

 第Ⅱコリント1章では、ユダヤ教のラビであり知恵に長けていたパウロ使徒が、アジア宣教で会った耐えがたい苦しみについて、「ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした(Ⅱコリント1・9)」と書かれている。弾圧や大震災など、自分の力や思いではどうしようもない危機に直面することで、自分を頼りにするのではなく、神を頼りにするようになる瞬間が訪れる。神以外なにも頼りにするものはない危機的な状況を乗り越えてこそ、復活の命、新しい命を生きることができるようになっていくことが説明された。

 教会が活性化するためには、クリスチャンひとりひとりが語ることで、伝道して行く必要がある。小寺氏は「『種』としてのいのちは、『発芽』しないと実が結ばれない」とし、「自分の殻を破ってください。家庭や学校・職場などにおいて、神ではなく人の評判、人からどう思われるかを気になっている姿はないでしょうか。自分の殻を打ち破って、私たちが『死ぬ』ことができますように。そうでなければ、福音は伝わっていくことができません」と祈り、ホーリネス系諸教会諸聖徒の弾圧下における信仰を、東日本大震災という未曾有の危機を経験した今改めて練成し、ただ神により頼む信仰によって生まれ変わる生の尊さを訴えた。


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