こころと魂の健康(58)神の御心 渡辺俊彦

2018年1月9日07時59分 コラムニスト : 渡辺俊彦 印刷
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私たちは、病気をすると症状にあった薬を処方されます。しかし、がんや難病の方々は長い病気との戦いに心身共に疲れてしまいます。そして、万能薬があったらと思うものです。私たちは、健康な時はさほど感じませんが、病気をしたり弱ったりすると、誰しも「万能薬があったら」と思います。

実は、教会には万能薬に匹敵する言葉があります。それは、教会で頻繁に使われている「神の御心です」という言葉です。特に、牧師は「神の御心です」という言葉を使うことが多いものです。つまり、牧師にとって困った時の常套句です。牧師だけではありません。多くのクリスチャンも「神の御心です」という言葉を使います。この言葉を使う場合、どんな状況があるでしょうか。観察してみると3つのパターンがあることが分かります。

第一は、日常の中で不条理と思われる病気やさまざまな出来事に対して使われることが少なくありません。私たちが、さまざまな出来事で悩み苦しんでいる人や不条理などを感じている人々に対して「神の御心です」と話すのは、相手に冷たさを感じさせてしまいます。適切な対応ができなくなり、回避する言葉として使用してしまっていることが少なくないということです。

それは、それぞれに起こっている出来事の深い意味を回避する言葉として使われているということでもあります。そのため、「まるで神様は私に対して無責任で非合理的な方、ひどい方」と言われているようなものです。そして、「祈りましょう」などという対応を取られると、「もう話しても無駄だ。話すのをやめよう」と思うものです。使い方を間違えると、結果的に人を抑圧したり、人との関係を断ち切ってしまうことになってしまう言葉でもあるということです。

第二は、牧師や指導者の思い願いを通そうとするときに使われることがあります。牧師や指導的な立場にある人から「神の御心です」という言葉を聞くと、反論などできないものです。なぜなら、反論することよって「あなたは不信仰だ」と評価されてしまうからです。そして、無謀にも盲目的な「服従」を求められることがあります。

友人の牧師は、某教会から招へいの話が先輩牧師から伝えられました。その時、先輩牧師から「これは神の御心だと思う」という言葉を聞きました。この言葉を聞いた友人は、「この招へいを受け入れないとあなたは不信仰だ」と言われているように感じたと言うのです。また、「教団の任命は神の任命だ」という理解も同じ構造を持っています。それだけ「神の御心です」は、使い方を間違えると人をコントロールする言葉になってしまうということです。

第三は、自分自身の思いや願い(欲求)を通そうとするときにも使うことがあります。このような人は、自分の思いや願い(欲求)を通すために「神の御心です」という言葉を使い、周囲を振り回します。そして、物事が願った通り進まないと沈黙し、何もなかったかのように振る舞います。また、勘違いだったと言う人もいます。

それは、うまく物事が展開しなかったことを周囲の人に責任転嫁し、責任を回避する行動でもあります。また、自分の人生で起こっている出来事など、自分自身に向き合う苦痛を感じたくない、責任を避けたいという行動だということです。

このように、「神の御心です」という言葉は、自分や団体の都合で自由自在に使用できる万能薬となっています。そして、まるで「すべての責任は神様にあるのです。私には責任はありません」と言っているようなものです。

私の母は、数年前に初雪の降った日、循環バスに後ろから追突され即死しました。何人かの人たちは精いっぱい慰めの言葉を掛けてくれます。その言葉の中に「神の御心だね」がありました。私には、違和感のある言葉と響きました。私たちが「神の御心です」と使うことができるのは、自分自身が出来事の深い意味を理解したときのみだと痛感しました。

聖書は、神の御心について何を言っているでしょうか。パウロは第一テサロニケ4章3節「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです」と言っています。神様は、私たち一人一人が聖くなることを期待しておられます。聖くなることは、倫理道徳的に聖くなることではありません。十字架の恵みに応答し、イエス様にささげて生きることです。そして、人生の一つ一つの出来事に深く関わり、向き合って生きることです。主にささげる人生は決して、人生で起こる一つ一つの出来事を斜めから見るような生き方などしません。むしろ正面から向き合うものです。それだけ聖別とは、人生に深く関わることです。

私たちは、人生で起こる一つ一つの出来事(病気、失敗、失望、挫折、罪など)を体験すると悩み問います。これらは、自分ではコントロールできない出来事です。どんな問いでしょうか。「神はなぜこのような・・・」「神は存在するのか」などの神学的、哲学的問いです。なぜ悩み問うのでしょうか。神様は、私たちを操り人形に創造したのではなく、自由意思を与えておられるからです。だからこそ人間は、悩み苦しむ存在なのです。

神様は、私たちにとって一つ一つの出来事が理論的であろうがなかろうが、善であろうが悪であろうが、理屈に合っていようがいまいが、自分でコンロトールできないことに直面するように願っているのです。そして、一つ一つの出来事を乗り越え成長することを望んでおられるのです。

神様は、私たちが日常生活で経験する不条理、不確かさ、理不尽、フラストレーションなどと取り組むことを意図されています。ですから、神様は私たちが問う以上に、あなたが「人生に成功しましたか」ではなく、「人生の現実にどう直面し、向き合いましたか」を問うているのです。それは、私たちの生き方を方向づけることに深く関わっているからです。それだけ、神の御心は、私たちの日常の中にあるということです。

日常の一つ一つの出来事の深い意味を理解したとき、「神の御心」が分かるものです。そして、一つ一つの出来事を「神の御心」として主に明け渡すことができるようになるのです。また、日常で起こる出来事などをコントロールできない自分を知るとき、自分の意思で主に明け渡すことができるようにもなるのです。

神の御心に生きる者は、決して自分自身に固執しません。むしろ、神様にささげて生きる者に変えられるのです。そこに自由があります。

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渡辺俊彦

渡辺俊彦(わたなべ・としひこ)

1957年生まれ。多摩少年院に4年間法務教官として勤務した後、召しを受け東京聖書学院に入学。東京聖書学院卒業後、日本ホーリネス教団より上馬キリスト教会に派遣。ルーサーライス神学大学大学院博士課程終了(D.Mim)。ルーサーライス神学大学大学院、日本医科大学看護専門学校、千葉英和高等学校などの講師を歴任。現在、上馬キリスト教会牧師、東京YMCA医療福祉専門学校講師、社会福祉法人東京育成園(養護施設)園長、NPO日本グッド・マリッジ推進協会結婚及び家族カウンセリング専門スーパーバイザー、牧会カウンセラー(LPC認定)。WHOのスピリチュアル問題に関し、各地で講演やセミナー講師として活動。主な著書に『ギリシャ語の響き』『神学生活入門』『幸せを見つける人』(イーグレープ)、『スピリチュアリティの混乱を探る』(発行:上馬キリスト教会出版部、定価:1500円)。ほか論文、小論文多数。

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