戦国に光を掲げて―フランシスコ・ザヴィエルの生涯(8)遠くに見えた光

2018年1月8日16時35分 コラムニスト : 栗栖ひろみ 印刷
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やっと岩国に着き、船着き場に行くと、ちょうど堺に行く船があった。一行が乗り込もうとすると、船頭はみすぼらしい彼らの姿を怪しみ、乗せようとしなかった。

その時、「乗せておやりなさい」と凛(りん)とした声がして、1人の男がやって来た。そして、懐から金を出すとその手に握らせたので、船頭はしぶしぶ一行を乗せた。この男は高名な漢学者で養甫軒(ようほけん)といった。

「あなた方は堺で何をするおつもりかな?」。彼が尋ねたので、ザヴィエルはベルナルドの通訳で、京都に行って天皇に会い、キリストの教えを宣べ伝えたいのだと話した。すると養甫軒は手を振り、とんでもないというように忠告した。

「応仁の乱で都は一面焼け野原になり、強盗や追いはぎがうろついているから、身ぐるみはがれまっさ。それだけでなく、山犬みたいなやつらもいて、そばを通ろうものなら殺されて肉を食われますぞ」。「人の肉を?」。一同は仰天した。「そうじゃ。食べ物がのうて、みんな餓鬼みたいになっとります」

ザヴィエルはため息をついて言った。「天皇の所に行けないなら、偉い坊さんと話がしたいです。宗教的に最高権威を持つといわれる比叡山には、仏教の大学があると聞きました。そこで話をさせてもらえないでしょうか?」

養甫軒は腕組みをして、しばらく考えていたが、はたと膝を打った。「よろしい。堺には友人がおるから、紹介状を書いてしんぜよう。大きな問屋をやっておる日比屋了珪(ひびやりょうけい)という人じゃ。そこを訪ねて行けば、堺の城主小西隆佐に口を利いてもらえよう」。やがて堺に着くと、一行は漢学者に礼を述べ、紹介状を胸に歩き出した。

またもや雪が降り出し、吹雪に変わった。彼らは寒さに耐えつつ、よろめくようにして進んで行った。やがて日が暮れてあたりが闇に包まれる頃、松林の中に神社の境内がほのかに見えてきた。「住吉神社」と書いてある。一行は神に感謝しつつ、その屋根の下に身を寄せ合うようにして眠りについた。

目が覚めると、吹雪はうそのように収まって、朝日が銀世界を照らしていた。不思議にも程なく日比屋了珪の屋敷は見つかった。豪壮な造りだった。門番に紹介状を見せて案内を請うと、門番はいったん引っ込んだが、間もなく姿を見せ、一行を中に入れてくれた。間もなく、背がずんぐりして丸顔の男が入って来てあいさつした。日比屋了珪だった。

「書状拝見しました。養甫軒殿とは親しい仲ですから、できるだけ意に添うようにいたします。後ほど小西隆佐殿に書状をしたためましょう。あ、それよりお寒いでしょう?」。彼らの濡れた衣服を見て、了珪はすぐに人を呼び、風呂を立てさせて一人一人順に入らせた。それから、綿入れの着物を持ってこさせた。ザヴィエルとフェルナンデスは背が高いので、両手両足がはみ出してしまったが、この上なく心地よい温かさであった。

その時、了珪はザヴィエルの紫色に腫れ上がり、崩れかけた片方の足を見てびっくりし、すぐに医者を呼んで手当てをさせた。医者が診たところ、幸い切らずには済んだものの、もう少しで手遅れになるところだった。その後、広間に案内された一行は、今まで口にしたこともないような豪華な食事を振る舞われ、その夜はここに泊まることになった。

その夜、ザヴィエルと了珪はいろいろなことを語り合った。「私は最近眠られん晩があるのです。何もかもむなしく思えて、こんな生活をしていて何になるのだろうかという気持ちが起きましてな。何をしてもだめなのです」。ふと、了珪は自分の悩みを打ち明けた。

ザヴィエルは、彼の話を聞いてから言った。「こういう教えが聖書に書かれています。人が全世界を手に入れても、魂を失ったら一体何になるのだろうか――と」。そして、富める青年の話を聞かせた。「それで?その若者は全財産を人に施したのですか?」「いえ、彼は自分の財産を手放すことができず、悲しみながら立ち去って行ったのです」

了珪はしばらく考えていたが、静かに言った。「大変良いお話を伺いました。確かにひと財産築いてしまうと手放せなくなってしまいますな。しかし、一番大切な魂の平安を得られるなら、全世界も安いものです」

翌日、了珪は小西隆佐に宛てて書状をしたため、一行に持たせて送り出した。それだけでなく、ちょうど京に上る大名行列があるので、その一行に加えてもらうよう計らったのである。

<あとがき>

神様は、人を助けようとされるとき、思ってもみないような方法を用いられることがあります。時には行きずりの人の手を借りることさえあります。

岩国にたどり着いたザヴィエルの一行が船に乗ろうとすると、船頭はあまりにもみすぼらしい彼らの姿を怪しみ、船に乗せようとしませんでした。しかし、この時漢学者の養甫軒という人は、お金を払って彼らを船に乗せてくれた上、堺の豪商日比屋了珪に紹介状まで書いてくれたのです。

一行は吹雪の中をよろめくようにして、ようやくこの豪商の屋敷を訪ね当てます。了珪は、一行を手厚くもてなし、暖を取らせ、濡れた着物の替わりに綿入れの着物を着せ、さらに凍傷になりかけていたザヴィエルの足を見て、医者を呼んで手当てをほどこさせたのです。

しかし、実際に救われたのはザヴィエルの一行ではなく、豪商の日比屋了珪だったのです。彼はザヴィエルが語ったメッセージに心を打たれ、やがて回心をしてキリシタンになったのでした。

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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)

1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。派遣や請負で働きながら執筆活動を始める。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。動物愛護を主眼とする童話も手がけ、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で、日本動物児童文学奨励賞を受賞する。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝の連載を始める。編集協力として、荘明義著『わが人生と味の道』(2015年4月、イーグレープ)がある。

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