『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』『「人を好きになってはいけない」と言われて』から信仰継承を考える

2018年1月8日07時04分 記者 : 守田早生里 印刷
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『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』『「人を好きになってはいけない」と言われて』から信仰継承を考える
いしいさや著『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』(講談社、2017年)

いしいさや著『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』(講談社)は、エホバの証人の母親のもとで育てられた半生を描いた漫画。大沼安正著『「人を好きになってはいけない」と言われて』(同)も、統一協会の両親に育てられた著者の自叙伝だ。幼い頃から当たり前のように集会に足を運び、祈り、家庭の中でも「神」に感謝してきた様子がそれぞれ綴(つづ)られている。

大沼氏は子どもの頃から、日曜の朝5時と夕方5時から始まる礼拝を欠かさなかった。文鮮明を「お父様」と呼び、カタカナが振ってある韓国語の歌を、意味も分からずに歌っていた。そして幼い頃は、統一協会員として良いことをしている両親を、むしろ友だちに自慢していたという。

いしい氏は、エホバの証人だった母親から、「世の子(信仰を持たない子)と一緒に遊んでいけない」、「誕生日は祝わない」、「クリスマスもサンタクロースもわが家にはない」と言われて育った。週3回の集会、土曜日には「奉仕」と呼ばれる戸別伝道にも出掛けた。クリスマスのプレゼントをどうするかといった友人の話の輪にも入っていけず、誕生日会に参加することもなかった。

「愚かさが少年の心につながれている。懲らしめのむち棒がそれを彼から遠くに引き離す」と新世界訳聖書(エホバの証人が使用する聖書)にあることから、奉仕を嫌がったり、教えに背くようなことをしたりすれば、容赦なく鞭(むち)でたたかれた。自分から「お願いします」と頭を下げ、鞭でたたかれた後は「ありがとうございました」と礼を言うことも強要された。「良い子になったあなたと一緒に楽園にいくため」と母は言っていたという。

『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』『「人を好きになってはいけない」と言われて』から信仰継承を考える
大沼安正著『「人を好きになってはいけない」といわれて』(講談社、2002年、品切れ重版未定)

大沼氏が統一協会に疑問を抱き始めたのは小学校高学年の頃。テレビのニュースで霊感商法が問題になっていた。気付くと、自分の家にも同じような壺(つぼ)や仏像があったという。疑問はいろいろあったが、最も理不尽に感じたのは、母親の放った一言だった。

「人を好きになってはいけない」

統一協会員には、文鮮明が決めた結婚相手がいた。いずれその人と結婚するのだから、他の人を好きになる必要はない。ましてや、結婚前に人を好きになってはいけないというのだ。しかし年頃になると、他の友だち同様、大沼氏もガールフレンドがほしかったが、母親がそれを許さなかった。

いしい氏も、熱心な信者である母親に従う中で暗い学生生活を送っていた。体育祭の応援合戦には、「争いは避けなければならない」との教えのため参加できなかった。校歌斉唱は、偶像礼拝にあたるため禁止された。生徒会選挙にも、「人間の政治に参加してはいけない」という教えに従い、参加しなかった。「世の子」との恋愛も禁止。生涯独身であることが良いとされていたエホバの証人の中には、「結婚は楽園に行ってから」と考える人もいたという。

高校を卒業したいしい氏は、母親にきっぱりと通告する。「エホバの集会には行きたくない。奉仕するのも、学校で他の子と一緒のことができないのも、すべて嫌だ」と。それを聞いた母親は、「一緒に楽園に行きたかった」と涙を流した。

それからは友だちと誕生日を祝い、ボーイフレンドもできた。たばこの味も覚えたが、どこかむなしい。しかし、エホバの証人の集会や教えから解放され、「ちょっと気分がいい。いつか『普通』になれるといいな」というセリフで漫画は締めくくられる。

大沼氏の半生は壮絶だ。両親共に統一協会員であるため、逃げ場がない。中学生で一人暮らしを始め、児童相談所に救いを求め、保護されたこともあった。家出を繰り返し、両親から離れたい一心で何でもやった。ひきこもっていた時期には、ゲームの中だけが自分の居場所だった。その頃から、ゲーム業界で仕事をしたいと願うようになった。この夢があったからこそ、大沼氏はどんなことも頑張ってこられたという。中学校もまともに行っていない。高校も行かず、水商売や土建業などを転々とした。対人恐怖症から、言葉が口から出てこないこともあった。精神科にも通った。そうして18歳になった頃、なんとか人生をリセットしたいと、大学入学資格検定(現在の高卒認定試験)に挑戦し、見事に合格したところで本は終わる。

ところで、クリスチャン家庭でも、「信仰継承」を意識するあまり、知らず知らずのうちに同じような言動を子どもにしている例があるのではないだろうか。「この世的な歌を聴くんじゃない」、「そんな世俗的な集まりより教会に来なさい」、「日曜日は礼拝があるから、部活の試合には行くな」など。

愛するわが子も信仰を持って、神様に祝福された人生を送ってほしいというのは、クリスチャンの親として当然の願いだ。それにもかかわらず、思春期に教会を離れてしまう子が少なくないのはどうしてなのだろうか。

押し付けによる信仰は、真の信仰とは言えない。子どもが本来向き合うべきなのは親ではなく神様であり、子どもが神様を知って従うようになるのも、親ではなくイエス様を通してであることを注意深く弁(わきま)えたいものだ。

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