日本はまだ福祉後進国 阿部志郎氏ロングインタビュー(2)

2018年1月4日06時55分 記者 : 坂本直子 印刷
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阿部志郎氏
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阿部志郎氏が社会福祉の世界に入ったきっかけは、1人の看護師との出会いだった。

井深八重との出会いから

「ボランティア」「社会事業」という言葉さえ知らなかった大学時代、静岡県御殿場にあるハンセン病の療養所を訪れ、患者を手当てする看護師の姿を見て、とても美しいと思いました。そして心の中で、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25:40)という聖句が浮かんできたのです。その時から、この看護師のように、いと小さき者の1人と共に生きたいという気持ちを持つようになり、社会福祉の仕事に入りました。後になってその看護師が、ハンセン病患者の救済にささげた井深八重さんだったことを知りました。

日本は福祉後進国

今からおよそ63年前に横浜で、マリアンヌちゃんという女の子の養護上の裁判事件がありました。父はスウェーデン人、母が米国人で、不幸にして両親が亡くなり、日本の制度に従って養護施設に引き取られることになったのですが、スウェーデンの里親から引き取りたいとの申し出があり、その話がこじれて裁判になりました。裁判に参考人として出廷したスウェーデン領事が、「スウェーデンには、1人の孤児に対して養育希望のボランティアが100人います」と発言したことが決め手になり、スウェーデンに引き取られました。当時、日本では100人の孤児にボランティアが1人いるかいないかの時代です。驚きました。

そのスウェーデンに行ってさらに驚いたのは、公園の遊具は全部木製で、それらは行政が材料費を出し、住民が子どものために遊具を作っていたことです。われわれは行政に「作れ、作れ」と権利を主張はする。でも、「公園の遊具を作ろう」とは誰も言わない。スウェーデンは住民が出て作る。そこからコミュニティーが始まるのです。連帯も、社会にいるいろいろな人、強い者、弱い者、病める者、健康な者、老人、子ども、女性、男性・・・互いに助け合って1つの体を作ろうというもの。極めて聖書的です。だから当然、一人一人が社会に参加しなければいけないということです。

リハビリとは人間性の回復

日本は富国強兵ですから、明治以来、強い者でなければいけない。弱い者を排除する社会を作ってきました。徴兵制でも、不合格になった者には仕事が与えられない。軍隊も、負傷して帰ってくるとどうなるか。米国はリハビリテーション施設を造って、社会に復帰させようとしましたが、日本は「廃兵」と呼び、軍人も戦闘能力がなくなれば捨てられました。

今日、日本のリハビリは非常に発達してきましたが、それは機能の保全にすぎない。歩けなくなった人を訓練して歩けるようにして終わり。しかし、リハビリというのは、本来「リハビリス」。「ハビリス」というのは「居場所」を意味し、「人間性」を言います。ですから、機能の保全ではなく、人間性の回復が本来の意味です。日本のリハビリはそれを考えていない。そこを教会が語ってほしい。生と死、いかに生きるか。強さと弱さをいかに協力させるかを教会に語ってほしい。

北朝鮮問題を前に福祉のレジェンドが語る 阿部志郎氏 戦争体験を語る
横須賀市田浦にある横須賀基督教社会館。終戦の翌年、旧日本海軍の施設を米国海軍より譲り受け、 コミュニティー・センターとして開設し、現在に至るまでキリスト教精神に基づく施設として総合的に地域福祉実践に取り組んでいる。

与える者がひざまずく

中学の時、クラスにポリオの子が2人いて、一緒に野球をやっていました。彼らは必ずピッチャーで、走るのは他の誰かがやる。よくみんなやったなあと思う。やはり、弱い者は弱い者が果たす使命がある。

そして、最後にできるのは祈りです。東日本大震災でも、すべてを失った人たちが絶望中にできたことは祈りです。人間を超えた者に身をゆだねる。それで復興への力をいただいた。人間、最後の力は祈りなんですね。クリスチャンはもっと祈らなければいけない。

礼拝に出ることによって神の恵みを受け、その恵みを愛をもって分かち合う。そこに福祉というのが出てくるんですね。教会に人やお金をお願いするのではなく、本来は祈りを求めなければいけない。祈りによって福祉は支えられるからです。教会は福祉をサービスとして支える。アジア仏教、特にタイを見ると分かりますが、与えるものがひざまずき、受けるものは立ったまま、頭を下げることなく無言で受け取ります。これがサービスの原型だと思うんですね。

キリスト教で言えば、洗足の教えがそれにあたります。そのサービスを教会は祈りをもって支えなければならない。祈りと祈りが結び合わせる。それが教会と福祉の関係だと思います。

体で信仰告白をした障がい児

以前、学童保育に、口がきけず歩くのが不自由でうまく表現ができない障がい児の女の子がいて、ある時、家からいなくなったという連絡がありました。親たちが晩飯もほったらかしにして駆け付け、車5台で探し回っても見つからない。それから3時間して、JR千葉駅から保護したという連絡がありました。この時、大人たちは、「どうして家でもっときちんと面倒を見ないのか」と心でささやくわけです。一方、その知らせを翌日聞いた学童保育の子どもたちは、「〇〇ちゃん、すげーな。1人で行ったのか。僕も1人で電車に乗ってみたいよ」と女の子を英雄扱いです。この発想は大人にない。大人は子どもから学ばないといけない。

また、ある男の子が20歳の時、町の成人式でオーケストラの指揮をしました。当時はとても荒れていた時代で、当日の会場も大騒ぎの状態でした。そんな中、ボランティアが彼を連れて舞台に上がると、歩き方がおかしいので会場からは笑い声が聞こえた。彼は、お母さんがオルガニストだったので、家でもしょっちゅうFMラジオで音楽を聴いていたので、見事に指揮をし、オーケストラを驚かせ、全員立って拍手をした。そして、それを見た会場の1200人の荒れている少年たちがシーンとなったのです。この子は教育者です。かなわない。タラントを与えられています。

幸いなことに、この2人は日本基督教団田浦教会で洗礼を受け、教会に通っています。口で信仰告白はできませんが、体で告白している。教会を理解していることが分かります。

50年、本当にいろいろなことがありました。髪が抜け落ちたこともあったような気もしますが、みな忘れました。50年、本当に楽しかった。その一言だけです。

日本の福祉はどこに向かうのか

神奈川県には鎮守の森が2850ありましたが、40年前に県が調査した時には45になっていました。なぜかというと、空間が無駄だからです。代わりに工場を建てたり、住宅や駐車場にしたりするほうが生産性がずっと上がる。これが今の価値観です。効率性や利便性のためにロボットを使うわけです。要するに手を抜く。

ところが、福祉は手間をかけるのです。この社会からいうと、矛盾しています。でも今、鎮守の森がなくなって、何か大切なものを失ったのではないかという疑問が出始めた。無駄な空間と思ったのが、実はコミュニティーを支える空間だったということに気付き始めている。そういう目で福祉が見直される時が来るだろうと思っています。

米国の視覚障がいの子ども施設の入り口には、黒人の子どもと白人の子どもが肩を抱きながら笑顔でささやき合っている写真が飾ってあります。目の見えない彼らは、互いの肌の色が見えない。だから、笑い合える。偏見がないんですね。私は見えるけれども、人によっては気持ちが冷たくなり、偏見がある。目の悪い子は目は見えないけれども、心は開いている。私は目が見えても、心が閉ざされている。この両者が出会うんです。そうすると、魂の目が開くのです。それが出会いです。これが人と人との一番大切な関わりではないでしょうか。人生とは、人と人の出会い。機械ではそれが起こらない。出会いは対話、真実を分かち合うということです。

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