神さまが共におられる神秘(44)神さまの確かさに信頼して、家族のために祈る 稲川圭三

2017年12月31日06時34分 コラムニスト : 稲川圭三 印刷
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2014年12月28日 聖家族の祝日
(典礼歴B年に合わせ3年前の説教の再録)
幼子は育ち、知恵に満ちていた
ルカ2章22~40節

入祭のあいさつ

今日は「聖家族の祝日」です。

「聖家族」とは、イエス、マリア、ヨセフ、この家族を聖家族といいます。また、伝統的にというか言い習わし的に、教会の中で何かとても信仰のある家族を「あの家は聖家族だねえ」という言い方で言うこともあります。

「聖家族」の「聖」とは、ただただ神さまから来ます。人間の行いの良さや尊さや力から「聖」が来るのではなく、ただおひとり「聖」である方への信頼と、そのお方に結ばれる信仰を通して「聖」ということに繋(つな)がらせていただきます。

今日も「聖」であるお方、神さまが、私たちと共にいてくださいます。そのことに出会わせてくださるために、父である神は幼子「主イエス」を私たちのところに送ってくださいました。

この「聖」である方に結ばれて一緒にお祈りをし、この1年のさまざまな出来事への感謝としたいと思います。

説 教

イエス、マリア、ヨセフのこの家族のことを「聖家族」と言いますけれども、この「聖家族」が「聖」であるのは、「聖であるお方」、神さまに信頼を置いて生きるいのちであるからです。人間の側に「聖」があるのではなく、「聖」なるお方に信頼を置いて「生きる」というところに、「聖家族」の「聖」の根源があります。

第1朗読も第2朗読も(カトリックでは第1朗読を旧約から、第2朗読を使徒の手紙から朗読する)、今日は信仰ということについて教えています。

第1朗読(創世記15:1~6、21:1~3)でいうと、アブラムは「主を信じた」という言葉があります(15:6)。この「信じた」という言葉は、旧約聖書のヘブライ語で「アーマン」という言葉です。私たちはいつも「アーメン」と答えていますが、その元になる言葉です。「アーマン」、信じる。

「アーマン」という言葉の元々の意味は、「堅固さ」「確かさ」ということだそうです。つまり、神さまの「堅固さ」、神さまの「確かさ」があり、その「堅固さ」「確かさ」を信じ、その上に立つ。その確かさに繋がることを「アーマン」「信じる」と言っているということです。

ですから、私たちが「アーメン」「はい、そうです」「その通りです」と言う時、本当に大切なことは、私たちがどれだけ強い思いで「はい、そうです」と言うかということではありません。そうではなく、私たちが信頼を寄せる「そのお方の確かさ」というところにあります。

私たちがそのお方の「確かさ」を「確かだ」と思える時も、思えない時も、感じられる時も、感じられない時も、理解できる時も、理解できない時も、そのお方が「確かな」お方であるがゆえに、そのお方の「確かさ」の上に信頼して立つ。これが「信じる」という信仰、「アーマン」なのです。

今日の第1朗読の言葉ですが、アブラハムには子供がありませんでした。「あなたはわたしに子孫を与えてくださいませんでしたから、家の僕(しもべ)が跡を継ぐことになっています」と言ったけれども(3節)、主である方は「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ」と言い(4節)、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい」と言われ(5節)、「あなたの子孫はこのようになる」と言われました(同)。

アブラムはその言葉を信じたのです。信じることができたか、納得できたか、同意できたか、本当にそうだと実感できたかという「自分」に中心があるのではなく、そのお方のお言葉の「確かさ」に信頼を置き、そのお言葉の上に立って生きる。これが、アブラムが「信じる」ということでした。

「聖」であるお方の「確かさ」の上に立たせていただいて生きる。そういう家族を「聖家族」といってよいと思います。

さて、1週間前に「ご降誕」のお祝いをした私たちは、今日どのようにその「聖」であるお方の上に立てばいいのでしょうか。どのようにそのお方を信じ、どのようにそのお方の「確かさ」の上に立てばよいのでしょうか。

こう言ってよいと思います。イエス・キリストは、すべての人の中に「神さまが共にいてくださる」という真実を告げ、そのことに出会わせるために来てくださったお方です。そのお方が今日、私たち一人一人と共にいてくださいます。私たちがそのように感じること、納得すること、理解すること、実感することを超えて、共にいてくださいます。それが主であるお方の「確かさ」です。その「確かさ」の上に立たせていただくことを「信じる」と言ってよいのです。

「共にいてくださる」お方、イエス・キリストというお方の「確かさ」にどのように私たちは立ったらよいのでしょうか。それは、そのお方と「一緒の向きで生きる」ということだと私は思います。つまり、イエスさまがなさったように、私たちも出会う人に「神さまがあなたと共におられる」という真実を認めて生きることです。それが「共にいてくださるお方」の「確かさ」の中に立つ立ち方ではないでしょうか。

この1年間もたぶん、毎回の日曜日でまったく同じことばかり申し上げたと思います。でもやはり、私たちの内にいてくださるイエス・キリストは、目の前にいる人に、「神さまがあなたと共におられます」という真実を告げ、何とかして出会わせようとなさったお方であると思います。

だから、私たちも「神さまがあなたと共におられます」と告げ、また告げるように招かれています。告げる状況にない時もあるでしょうから、「神さまがあなたと共におられます」と祈るようにするのです。その時、私たちは知らずに「共にいてくださる神さま」、イエスさまの「確かさ」というところに立たせていただく者になるのではないでしょうか。

1年間の最後の日曜日にあたり、この1年間を振り返らせていただいたらと思いました。いろいろな出来事があったことと思います。愛する人が亡くなられたという方もおありでしょう。また、今はどうしても感謝することはできない、という出来事もあったかもしれません。反対に、心から感謝させていただきたい出来事や出会いもあったかもしれません。

その一つ一つの出来事を通して、主である神さまが、そこに「永遠のいのち」との出会いを用意してくださっておられます。ですから今日、今は感謝できないかもしれない一つ一つの出来事にも、そこに神さまが「確かさ」を表しておられることに信頼をして、お祈りをさせていただいたらいいのです。

「聖家族の主日」にあたり、特に家族のみなさんにお祈りをするようにしましょう。身近な人ほど、祈りにくいかもしれません。いや、祈りにくいでしょう。最も身近な人に祈るのは、最も難しいかもしれません。いや、最も難しいでしょう。

でも、その難しさを超えて、今日すぐ近くにいる人に「神さまがあなたと共におられます」と祈り合うことが、「私たちと共にいてくださる聖なるお方」の上に立って生きることなのだと思います。

ご一緒にお祈りをおささげしたいと思います。

稲川圭三

稲川圭三(いながわ・けいぞう)

1959年、東京都江東区生まれ。千葉県習志野市で9年間、公立小学校の教員を務める。97年、カトリック司祭に叙階。現在、カトリック麻布教会主任司祭。著書に『神父さま おしえて』『イエスさまといつもいっしょ』『365日全部が神さまの日』『神さまのみこころ』(いずれもサンパウロ)など。
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