クリスチャン編集者 鴻海誠さんロングインタビュー(1)

2018年1月1日06時46分 記者 : 雜賀信行 印刷
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鴻海誠さん=12月18日、いのちのことば社(東京都中野区)で
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ヒットメーカーの雑誌編集長

キリスト教出版社最大手のいのちのことば社で、聖書や聖歌を除き、最も売れた本は何かご存じだろうか。三浦綾子と星野富弘の対談『銀色のあしあと』だ。1988年に「百万人の福音スペシャル」(ムック)として発売されて以来、装いを新たにしながら今も読み継がれているロングセラーで、キリスト教書では異例の20万部を超えた(ムック版と単行本合わせて)。

それを手掛けた編集者が鴻海(こうのうみ)誠さん(70)。その後も多くのヒット作を手掛け、横田早紀江さんらによる『ブルーリボンの祈り』(2003年)もまとめた。

1975年にいのちのことば社に入社して以来、出版部を皮切りに編集者として歩み続け、79年に雑誌部に異動。その数年後には、30代前半で看板雑誌「百万人の福音」の編集長に抜擢された。NHKの人気アナウンサーである渡邊あゆみさん(当時、久能木、その後、黒田)が改革派教会牧師の娘であることから雑誌の表紙を飾るなど、若々しく自由な発想の誌面作りを牽引(けんいん)し、当時、勢いのあった福音派教会を中心に、多くの読者の心をつかんできた。そこから若者向けの姉妹誌「ワンウェイ」が誕生したり、年1度のお祭りのように別冊増刊号を作ったりしてきた。その3冊目として出した『銀色のあしあと』が思いがけない大ヒットとなり、それまで数千~数百部だったキリスト教出版業界の壁を打ち破ったのだ。

ベストセラー編集者 鴻海誠さんロングインタビュー(1)
30代、「百万人の福音」編集長だった頃の鴻海誠さん

1994年、いのちのことば社の創設者である宣教師ケネス・マクビーティ氏が引退し、多胡元喜会長に交代すると、鴻海さんはその経営陣の一角を担うとともに、96年には出版部部長として、一般向けの本のブランド「フォレスト・ブックス」を立ち上げた。そんな中で出会ったのが横田早紀江さんだ。横田さんの話は後編に譲るが、そこでも絵本『たいせつなきみ』(1998年)が12万部という大ヒットになった。

昨年6月、多胡会長から岩本信一社長へと経営がバトンタッチされると、鴻海さんも第一線から退き、今は1人のOBとして文書伝道の働きを後方から支えている。

聖書によって心に光がともる信仰体験

鴻海さんは1947年、愛媛県松山市に生まれた。家風の違いの問題で、鴻海さんが3歳の時に両親が離婚。その7年後には、母親が東京に駆け落ちするように再婚したが、新しい父親との間に葛藤を抱えるなど、最も揺れ動く思春期に家庭に居場所がないまま、15歳で家を飛び出す。親戚の家に引き取られたりしながら高校時代を過ごし、高3の秋、実父と再会。一緒に暮らすことはできなかったが、経済的な面倒を見てもらいながら、7年間かかって早稲田大学法学部を卒業した。

そんな大学時代、デール・カーネギー『道は開ける』(創元社)を読んでいる時、聖書の言葉に出会う。

明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。(マタイ6:34)

それまで「親のせいで自分の人生はメチャクチャにされた」という被害者意識で鬱憤(うっぷん)を溜め込む一方だったが、その聖句に触れて心にポッと光がともったような気がしたという。

やがて、大学の近くにあった高田馬場教会(現聖書キリスト教会)に通うようになったが、1年ぐらいはなかなか信じることができなかった。そんな時、牧師が説教で洞爺丸事件の話を語った。1954年、青函連絡船の洞爺丸が台風により沈没し、1155人が犠牲になった日本海難史上最大の事故だ。そこに乗り合わせていた宣教師が、自分の救命胴衣をそばにいた子どもに着せて命を助けたという。その話を聞きながら鴻海さんは、「人のために死ぬという愛」を初めて知って胸が熱くなり、キリストが示した「この愛だけは自分を決して裏切らない」と素直に信じられたという。

受洗後、教会の働きに関わるようになり、大学卒業後も、多くの著書を持つ尾山令仁牧師のもとで秘書のような働きをしたが、自分には本を作る仕事が向いていると考え、いのちのことば社に入って編集者としてのスタートを切った。

金賢姫(キム・ヒョンヒ)のロングインタビュー

鴻海さんが横田さんとの出会いに至る伏線となるようなことが、「百万人の福音」の編集長時代にあった。金賢姫(キム・ヒョンヒ)のロングインタビューだ。

1987年、大韓航空機爆破事件が起こった。イラクから韓国へと向かう航空機がインド洋上で爆発。途中で降りた乗客の中に、北朝鮮の工作員だった金賢姫(当時25歳)がいて、すぐに逮捕された。翌年行われるソウルオリンピックを妨害するためのテロだった。死刑が確定したが、90年、特赦を受け、97年には結婚して家庭を持っている。

ベストセラー編集者 鴻海誠さんロングインタビュー(1)
「百万人の福音」1991年4月号に掲載された金賢姫(キム・ヒョンヒ)のロングインタビュー

この事件は当時、日本でも大きな話題となり、『いま、女として――金賢姫全告白』(文藝春秋)などがベストセラーになったが、それに先駆けること半年、「百万人の福音」が単独インタビューを行ったのだ。1991年4月号、「神さまの深いあわれみによって」というタイトルで、ちょうどその年のイースターに彼女が洗礼を受けるのに合わせ、前年、編集部が韓国に飛んでインタビューを実現した。ソウル日本人教会牧師の吉田耕三氏に鴻海さんが相談を持ち掛け、実現した企画だという。

逮捕された金賢姫は精神的に不安定になっていたため、クリスチャンの女性捜査官が聖書の「箴言」を読むよう勧めたという。「とても胸が熱くなりました。それまで、読んだことのないことが書かれていたからです」。そんな彼女が「この箇所は特に魅(ひ)かれました」というのが次の聖句だ。

心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば、主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。(3:5~6)

逮捕された時、彼女は青酸カリを飲んで自殺を図ったが、3日後に意識を取り戻した。「イエスさまは、十字架にかかって三日後によみがえられましたが、同じように私も再び生かしていただきました。常識では考えられない、人間の力ではできないことを、神さまはされたのです」

これはキリスト教界にとって歴史的スクープだったが、このことを知っているのは当時の「百万人の福音」の読者だけではないだろうか。というのも、北朝鮮や政治活動家などを刺激しないよう、上層部から修正の赤字がたくさん入り、表紙や広告などにもこの記事が載っていることを示すタイトルは一切ない。

しかし、「それでも記事を載せられただけでもよかった」と鴻海さんは言う。その数年後、北朝鮮の工作員によって娘を拉致された横田早紀江さんと出会い、その信仰の叫びを、時間をかけて『ブルーリボンの祈り』として結実させていくことになろうとは、当時、鴻海さんは考えもしなかった。

後編>>

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