日々是ハレルヤ(9)信じていいよ。礼拝していいよ。 横坂剛比古

2017年10月30日06時51分 コラムニスト : 横坂剛比古 印刷
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主の御名をあがめます。

マロです。週の初めの月曜日、いよいよ10月も終わって、これから年末ムードに突入していく時期ですが、皆様、いかがお過ごしでしょうか。今日もゆるゆるまいります。

先日、衆議院議員選挙が終わりましたが、選挙が近づくと、街のあちこちに「選挙に行こう」ってポスターが貼ってあったりしますよね。正直なところ、僕は少し「あまのじゃく」なので、あれを見ると、「なんで行かなきゃいけないんだよ」とか、「なんで命令されなきゃいけないんだよ」とか思ってしまったりします。

そこで考えました。もしあのポスターに「選挙に行ってもいいよ」って書いてあったらどうなるでしょう。「義務」や「勧誘」って、何となく重荷というか、避けたい気がしますけど、「権利」や「許可」だと、とりあえずもらっておこうかな、って気持ちになりますよね。

人間って誰しも、「あまのじゃく」な性質を持っているものですから、「やれ」と言われるとやりたくなくなってしまうというような心情は、多くの人が経験していることだと思います。「勉強しようかな〜」と思っていても、そこで「勉強しなさい!」と言われると、途端にやる気が失せてしまったりだとか。家で落書き帳に絵を描くのは楽しくても、学校の図工の時間に先生に「さあ、絵を描きましょう」と言われると、少しも楽しくなかったりだとか。でももし、同じ絵でも、例えば算数の時間に「絵を描いていてもいいよ」と言われたら、誰もが絵を描きたくなるのではないでしょうか。

僕はベースの稽古をするとき、本番が近づいていたりして「稽古しなければならない」という状況になると、かえってやる気が出なくなったりしてしまいます。でも、そういうプレッシャーのない時、ただふと時間が空いて「稽古でもしようかな」という時は、とてもやる気が出たりします。同じ曲の稽古を同じようにするのであっても、「しなければならない」プレッシャーのある時とない時では、稽古のモチベーションも楽しさもずいぶん違ってきたりします。

さて皆様、「神様を信じなければいけない」とか「礼拝に行かなければならない」とか思ってしまうことはありませんか。それで信仰や教会を重荷に感じてしまうようなことはありませんか。信仰や教会に「しなければならない」プレッシャーを感じてしまっていませんか。それで本来の福音の喜びを感じられなくなってしまっていませんか。

「神様を信じること」「礼拝すること」、これらはクリスチャンに課せられた義務ではありません。クリスチャンに与えられた権利です。権利ですから、砕けた言い方をすれば、「神様を信じてもいいよ」「礼拝してもいいよ」ということです。こう捉えると、信仰生活や礼拝に対して、少し心が軽くなりませんか。楽しくなる気がしませんか。

また、伝道する時に「神様を信じなさい」とか「礼拝に行きなさい」とか言ってしまいませんか。ここまで言い方がキツくなくても、「神様を信じましょう」とか「礼拝に行きましょう」とか言ってしまいませんか。これは、相手のノンクリスチャンの方に義務を課す言い方になってしまっています。クリスチャンにとって信仰や礼拝が権利であるのと同じように、ノンクリスチャンの方にとっても、それらは神様から与えられた権利です。

私たちのツイッター伝道では、「毎週、礼拝に行かなければいけませんか」「献金をしなければいけませんか」「毎日、聖書を読まなければいけませんか」「お酒はやめなければいけませんか」などなど、「義務」についての質問が日々たくさん寄せられます。それだけノンクリスチャンの方にとって、キリスト教は「義務の宗教」というイメージがあるということでしょう。そしてそれは、私たちクリスチャン自身がまるで福音を「義務」のように背負って生きてしまっているからではないでしょうか。

ですから、私たちは原則として、「あなたも教会に来ていいんです」「聖書はあなたが読んでもいいんです」というスタンスでの伝道を行っています。それが福音宣教だと考えているからです。

福音って、「すべての人に喜ばしい権利が与えられましたよ」という神様からの宣言なんです。「すべての人に義務が課せられましたよ」という宣言ではないんです。その宣言を1人でも多くの人に伝えること、それが福音宣教です。

「いやいや、そうは言っても、奉仕とか献金とか、義務もあるじゃないか」

いいえ、それらのことはそれらの権利、つまり信仰が結ぶ「実」です。木は自分では何もしませんが、そこに立っているだけで、神様から雨や日を与えられ、やがて実を結びます。「実を結ばなきゃ」なんて考えていません。神様の恵みを受け取るだけでおのずと実を結ぶのです。私たちクリスチャンも同じことです。「奉仕しなきゃ」「献金しなきゃ」なんて、まずは考えなくていいんです。ただ神様の与えてくださった権利にあずかって信仰し、礼拝し、神様の恵みと導きを受けていれば、おのずと、ある人は「奉仕の実」、ある人は「献金の実」、ある人は「伝道の実」と、神様の計画通りの実を結びます。

ましてノンクリスチャンの方なら、なおさらです。種が芽を出すか出さないかの時に「実を結ばなきゃ」なんて、あまりに気の早いことです。種は芽を出すこと、芽は葉を出すこと、葉は幹を伸ばすことだけを考えればいいのです。そうすれば、いずれおのずと実を結ぶ時が来ます。

私たちが心に留めておくべきは、「実を結べ」という義務ではなく、「雨や日が与えられる」という権利の方なんです。もっと言えば、「そこに立っていていいよ」という権利なんです。「奉仕しろ、献金しろ、伝道しろ、証しになれ」という義務ではなく、「神様の近くで生きていていいよ。礼拝していいよ」という権利なんです。こんな優しくてありがたいことが他にあるでしょうか。

このコラムも、「書かなきゃ!」と思うと筆が重くなってしまうので、「書いてもいいんだ!」と思って書くことにしています。そう思うと、この場を与えてくださる方々や、読んでくださる方々に感謝の念も抱きますし、気持ちよく筆を運ぶことができます。いつもありがとうございます。

それではまたいずれ。主にありて。マロでした。

横坂剛比古

横坂剛比古(よこさか・たけひこ)

1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科卒、バークリー音大CWP卒。作曲家、ベーシスト、行政書士、コラムニスト、WEBディレクターなどなど、神様の導くままに生きていたらムカデのように何足ものワラジを履くようになってしまったクリスチャン。上馬キリスト教会ツイッター「中の人・まじめ担当」。
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