神さまが共におられる神秘(34)私の中でイエスさまが愛を行ってくださるという新しい掟 稲川圭三

2017年10月29日06時57分 コラムニスト : 稲川圭三 印刷
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2014年10月26日 年間第30主日
(典礼歴A年に合わせ3年前の説教の再録)
律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている
マタイ22章34~40節

説 教

「律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた」とあります(マタイ22:35)。つまり、イエスさまの律法に対する知識の浅さを暴露してやろうと考え、「先生、律法の中で、どの掟(おきて)が最も重要でしょうか」(36節)と尋ねたのです。

するとイエスはこう言われました。

「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』。これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい』」(37~39節)

この「尽くし」という言葉は、もともとのギリシャ語では「全部で」という意味です。ですからここは、「心の全部で、精神の全部で、思いの全部で」という意味になります。我々に馴染みのある日本語で言うなら、「全身全霊であなたの神である主を愛しなさい」ということでしょう。これが最も重要な第1の掟。

「第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい』。律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」(39~40節)

「律法全体と預言者」とは、旧約聖書全体を言い表す慣用句です。旧約聖書全体はこの「神を愛し、人を愛す」という2つの掟に基づいていると言われるのです。

ところで、「基づいている」というのはギリシャ語の「クレマニューミ」という言葉ですが、もともとは「引っかかっている」「ぶら下がっている」という意味だそうです。「ドアが2つの蝶番(ちょうつがい)にぶら下がって、とまっているように、旧約聖書全体がこの2つの掟でぶら下がり、とまっている」と説明した方があって、この聖書箇所の有名な解釈になっています。

イメージしてみてください。ここにドアがあります。これは律法全体と預言者、すなわち「旧約聖書全体」です。2つの蝶番でとまっています。上の蝶番が「神への愛」、下の蝶番が「人への愛」です。これは2つで1つの掟です。蝶番のうち、どちらか1つでも欠けたら、ドアが落っこちて動かなくなり、ドアとしての用をなさなくなってしまいます。

律法とは、人間を神のいのちにつなぐ入り口です。神への愛が欠けても、人への愛が欠けても、入り口として用をなさないということです。これが、イエスさまが今日おっしゃっていることです。

ところで、「全身全霊で神を愛し、隣人を自分のように愛しなさい」と言われた時、私たちは頭では分かります。でも、それを生活の中にどう具体化するかとなると、なかなか分からないというのが実情です。

言葉で説明するなら、「神を愛する」とは、「神が私たちを愛してくださっていると認めること」です。それが「神を愛する」の意味です。先に神さまが愛してくださっていると認めること、これが「神を愛する」の意味です。そして、「神を愛すること」が「自分を愛すること」だと言ってよいと思います。

ここまでは言葉で説明することはできます。でも、それを具体的に生きていくとなると、私たちには覚束(おぼつか)ない。しかし、私たちが実際にそれを具体的に生きていくことができるよう、最も重要な2つの掟をただ1つの掟にまとめてくださった方がいますね。イエスさまです。

ヨハネ13章34節でこう言われています。

「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」

これが私の「新しい掟」であると言われました。「神への愛」と「人への愛」を1つに結んだイエスさまの教えです。

ところで、「イエスさまが弟子たち(私たち)を愛した愛」とはどういう愛か、お分かりになりますか。人間の中に「神さまが共におられる」という真実を見いだし、そしてそれを告げ、その真実に出会わせてくださる愛だと私は思います。それでイエスさまは「インマヌエル」(ヘブライ語で「神は我々と共におられる」)と呼ばれるのです。

弟子たちはイエスさまを十字架の上に見捨ててしまいました。「たとえ死ぬようなことがあっても、あなたのことを知らないなどとは言わない」と豪語していたのに、イエスさまを裏切って、「そんな人は知らない」と言って逃げてきてしまったのです。イエスさまは弟子たちに見放されて、十字架の上で死なれました。

そして、3日目の夕方、イエスさまが来て、「あなたがたに平和」と言われたのです。「平和」とは聖書では「神さまが共におられる」という神の真実を表します。

ここで弟子たちははっきりと知りました。「ああ、人間が神さまから逃げても、神さまは私たちから逃げないお方なのだ」と。これが、弟子たちが愛された愛です。神さまは何があっても私たちから離れない。これが、イエスさまが教えてくださった「わたしがあなたがたを愛したように」という愛です。そして、自分たちには一緒にいていただく資格などないのに、神さまは一緒にいてくださる。これが、「わたしがあなたがたを愛した」という愛です。

その愛で互いに愛し合いなさい。つまり、何があっても神さまは人間から決して離れない方だという真実を、私も隣人に見いだすこと。どんな人にも「神さまが共におられる」という神の真実を見いだすこと、認めること、これがイエスさまの教えです。

「新しい掟」とイエスさまは言われましたが、実は旧約聖書の「神を愛し、人を愛す」というその中身は変わりません。この教えの「新しさ」はどこにあるかというと、「誰が」その愛を愛するかというところにあります。

「わたしがあなたがたを愛したように」の「ように」という言葉は、ギリシャ語で「カトース」という言葉が使われていて、理由や根拠を表します。だから、イエスさまの教えはこういうことです。「わたしがあなたがたを愛した『その愛によって』互いに愛し合え」と言っておられるのです。つまり、「わたしがあなたがたの中に神を見いだした、その『わたしのその愛で』愛し合え」と言っておられるのです。

人間の中に神を見いだしたイエスさまのいのちは今、私たちの中にあります。聖霊の交わりによって私たち一人一人の内におられるのです。私は、同じ顔と体の向きで私たちの中にいてくださると理解しています。だから、その愛の中に私たちも一緒の向きで入って、目の前にいる人に「神さまがあなたと共におられます」と告げ、祈るように。これが、イエスさまがおっしゃった新しい掟だと思います。

この新しさの根拠は、私たちが愛する時、私たちの中で「イエスさまご自身が愛してそのわざを行われる」というところにあります。

今日もそういう愛を行うために、イエスさまはご聖体のしるしを通して私たちのところに来られます。私たちと一緒の向きで愛を働くために、その出会いの振動を新たにしてくださるのです。そのことを受け取らせていただいて、この感謝の祭儀を一緒に生きていくようになりますように。

新しさとは、私たち一人一人の中で働かれるキリストご自身から来ます。人間の中に新しさはありません。すべての新しさは神さまから来ます。今日も私たちが、共にいてくださるイエスさまと一緒に新しい掟を行えますように。私たちが出会う人に「神さまがあなたと共におられます」と祈りますように。

稲川圭三

稲川圭三(いながわ・けいぞう)

1959年、東京都江東区生まれ。千葉県習志野市で9年間、公立小学校の教員を務める。97年、カトリック司祭に叙階。現在、カトリック麻布教会主任司祭。著書に『神父さま おしえて』『イエスさまといつもいっしょ』『365日全部が神さまの日』『神さまのみこころ』(いずれもサンパウロ)など。
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