神さまが共におられる神秘(28) 赦しの祈りを注ぐ時、苦しみの牢から解放される 稲川圭三

2017年9月17日06時31分 コラムニスト : 稲川圭三 印刷
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2011年9月11日 年間第24主日
(典礼歴A年に合わせ6年前の説教の再録)
あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい
マタイ18章21~35節

説 教

今日の箇所のテーマは「赦(ゆる)し」です。

今日の福音の出来事は、ペトロが尋ねたことが始まりです。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか」(マタイ18:21)。それに対してイエスさまは言われました。「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」(22節)

皆さん、どうですか。自分の中に「赦すことができない」という方がありますか。もしあるとしたら、「7の70倍赦せ」という命令は「難しい、無理だ」と思うかもしれません。たぶんペトロも「無理だ」と思ったのです。

そこでイエスさまは今日の話をなさいました。この「仲間を赦さない家来」のたとえの中で、「教え」にあたる内容は1つだけです。それは、「わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか」(33節)。これだけです。「7の70倍までも赦しなさい」というイエスさまの最初の教えを、たとえによって深めているのです。

ところで、今日のたとえ話は、主君と家来の関係の話だけれども、このたとえの中の家来は、自分が主君からしていただいたことを忘れているみたいです。赦されたことを全く忘れている・・・。不思議です。

でも、不思議でないかもしれない。というのは、私たちも神さまから赦していただいているのに、全く忘れたみたいに人を赦さないということがあるからです。

1万タラントン赦されているのに100デナリオンを赦さない人のたとえを普通に考えるとき、「赦すべきだ」と誰もが思う。けれども実際、自分のことになると、赦すのが難しい。イエスさまは今日のたとえを通して私たち一人一人に「赦し」を深く働きかけているのです。

今日のたとえ話を理解するために、急所がいくつかあります。まず1つ目は、1万タラントンというお金の額です。1万タラントンとはものすごい大金です。6千万デナリオンに相当するといわれています。

1デナリオンは、1日分の仕事の給料です。だから、赦された1万タラントンとは6千万日分の給料です。年に換算すると、16万年分の給料です。ちょっと返せないよね。それが、赦された1万タラントンというお金の額です。

主人は憐れに思って、返すなんて無理だと分かったから、「いい、全部帳消し」と言いました。それで家来は赦されたのです。

ところが、この家来が外に出ると、自分に100デナリオンの借金をしている仲間に出会ったので、捕まえて首を絞め、「借金を返せ」と言います。その仲間はひれ伏して、「待ってくれ、返すから」と言ったけれども、承知せず、引っぱって行って牢に入れた。借金を返すまで牢に投げ入れたのです。

急所の2つ目は「牢に入れる」ことの意味です。イエスさまの時代、お金を返さない人を牢の中に入れることがあったそうです。そして、「金を隠している場所を言え」と言って拷問にかけたのです。相手に苦痛を与えて「隠し場所を吐け」と言ったわけです。イエスさまの時代は、お金は土の中に隠しておくのが一番安全な隠し方だったから。

だから、この家来は、100デナリオンを取り返すまでは相手を絶対に赦さないで苦痛を与え続けたということです。自分が受けた負債を取り戻すまでは絶対に赦さない。相手に苦しみを与え続ける。これが「牢に入れる」ということの意味です。

それを見た仲間たちは非常に心を痛めて、主君に言いつけました。そうしたら主君はその家来を呼んで言いました。「不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。私がお前を憐れんでやったように、お前も仲間を憐れんでやるべきではなかったか」。そうしてこの「主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した」(34節)。

「獄吏」の別の意味は「拷問役」です。苦しめる役。だから、「もしあなたがたが心から兄弟を赦さないとき、同じようになる」とイエスさまは言われるのです。どういう意味でしょうか。それは、「自分の受けた負債を取り戻すまでは絶対に赦さない。相手に苦しみを与え続ける」という時、自分も苦しみを与えられ続けるところに閉じ込められ、そこから出ることができなくなる。そのようにイエスさまはおっしゃっているのです。

ちょっと考えてみてください。今日のたとえの中で、結果的に家来は、1万タラントンの赦しと100デナリオンの借金の大きさを比べているのです。どっちを大切にしているのか。そして、1万タラントンの赦しより、自分が受けた負債の100デナリオンを大切にしているのです。これは正しいか。正しくないと思います。

1万タラントンの赦しとは「永遠」の意味です。私たちと共にいてくださる神さまの赦しのことです。私たちに間違いがあっても、永遠の主は一緒にいてくださるのです。それ以上にありがたく、大切なことなどありません。

そのことと、人が自分に与えた負債と、どっちを大きいとして受け取るか。そこに問題があります。たとえの中の家来は、自分が受けた負債の「100」を大切にし、そこに身を置きました。そこは、相手を苦しめ、自分も苦しむというところなのです。

しかし、イエスさまの教えはただ1つです。「赦せ」。別の言い方をすれば、「自分の受けた負債ではなく、神が共にいてくださるという赦しを大切にしなさい」とおっしゃるのです。「心から兄弟を赦す」(マタイ18:35参照)とは、自分が被(こうむ)った負債より、神が与えてくださった永遠をより「大きい」とすることです。

私たちは、「神が共におられる」という赦しを受け取らせていただかなければならないと思います。では、どうやって出会わせていただくことができるのでしょうか。

それは、人間が考えてできることではありません。神が私と共におられる。そのことを、「神が共におられる」「神が共におられる」「私と共におられる」「おられる」と信じ込もうとしても、また何百回念じても無理なのです。できないのです。

では、どうしたらよいのでしょうか。不思議ですが、自分ではなく、自分以外のだれかに「神があなたと共におられる」と祈ったらよいのです。相手の内にあるその神秘に目を向け、祈るだけです。

「神さまが共におられる」と実感しなくたって構いません。そう思えなくてもいいのです。ただ、相手の内に「神が共におられる」という神秘を認め、「主があなたと共におられます」と祈ればよいのです。そのとき、神が共におられる神秘に私たちは出会わせていただくのです。なぜなら、その祈りを創るのは、共にいてくださる主ご自身だからです。主と共に生きる時、奇跡が起こるのです。

もし皆さんのうちに、「あの人だけは赦せない」という方があったら、今日、その人の上に「主があなたと共におられます」という祈りを注いでほしい。そのとき、奇跡が起こります。なぜなら、一緒に祈る主とは「赦し」だからです。その主ご自身が、苦しみの牢からすぐに出してくださる。「すぐに」です。

今日、自分が人から受けた負債を脇に置いておいて、相手の中に「神さまが共にいてくださる真実」を認め、祈りを注ぐことができるように、ご一緒に祈りたいと思います。

稲川圭三

稲川圭三(いながわ・けいぞう)

1959年、東京都江東区生まれ。千葉県習志野市で9年間、公立小学校の教員を務める。97年、カトリック司祭に叙階。現在、カトリック麻布教会主任司祭。著書に『神父さま おしえて』『イエスさまといつもいっしょ』『365日全部が神さまの日』『神さまのみこころ』(いずれもサンパウロ)など。
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