牧師の小窓 (97)雲仙・長崎 キリシタンの旅・その13 コルベ神父 福江等

2017年9月10日06時28分 コラムニスト : 福江等 印刷
Facebookでシェアする Twitterでシェアする
+牧師の小窓 (97)雲仙・長崎 キリシタンの旅・その13 コルベ神父 福江等
アウシュビッツ収容所でのマキシミリアノ・コルベ神父の想像画
- 広告 -

長崎の大浦天主堂を見学しているときに、その近くにコルベ館という建物があることを知りました。マキシミリアノ・コルベ神父(1894~1941)については、曽野綾子氏が詳しく小説にしていますから、大体のことは記憶にありましたが、この神父が長崎で戦前6年間宣教師であったのだということに、その時気が付いたのでした。

コルベ神父はポーランド人で、カトリック教会の神父。長崎から1936(昭和11)年に帰国した後、ユダヤ人にもカトリック教徒にも同じように親切にしていたということで、ナチス・ドイツ軍に捕らえられて、アウシュビッツ収容所に入れられました。そこで1人の囚人が逃亡したため、10人が無作為に選ばれて餓死刑を命ぜられました。その時、1人の人が「あ~、私には妻も子どももいる!」と泣き叫んだのでした。

コルベ神父はそれを聞いて哀れに思い、ナチスの軍人に、「私はカトリックの司祭ですから、妻も子どももいません。私をあの人の身代わりにしてください」と申し出たのです。そして、コルベ神父は他の9人と共に、地下牢の餓死室に連れて行かれました。そこで、彼は9人を励まして、賛美したり祈ったりして、1人ずつ餓死していく人を看取っていきました。コルベ神父は最後まで生き続けました。

2週間後にナチスの監視人が見たとき、彼がまだ生きているのを知って、彼に毒注射をして死なせたのでした。そのようにして、コルベ神父は最後をまっとうしたのでした。享年47歳でした。

コルベ神父は後に、カトリック教会では聖人として尊敬されることとなりました。神父が長崎に宣教師として働いていたのは1930(昭和5)年から36(昭和11)年までの6年間でした。その間に長崎に修道院を建て、神学生の教育と文書伝道にまい進していたのです。

実は、神父はこの時すでに肺結核になっていて、病の身にありながら宣教していたのでした。彼のまったき献身の生涯は、1粒の麦となって多くの実を結ぶこととなりました。

<<前回へ     次回へ>>

福江等

福江等(ふくえ・ひとし)

1947年、香川県生まれ。1966年、上智大学文学部英文科に入学。1984年、ボストン大学大学院卒、神学博士号修得。1973年、高知加賀野井キリスト教会創立。2001年(フィリピン)アジア・パシフィック・ナザレン神学大学院教授、学長。現在、高知加賀野井キリスト教会牧師、高知刑務所教誨師、高知県立大学非常勤講師。著書に『主が聖であられるように』(訳書)、『聖化の説教[旧約篇Ⅱ]―牧師17人が語るホーリネスの恵み』(共著)など。

福江等牧師フェイスブックページ
高知加賀野井キリスト教会ホームページ
高知加賀野井キリスト教会フェイスブックページ

この記事が気に入ったら「フォロー」しよう
フェイスブックで最新情報をお届けします

関連記事

クリスチャントゥデイからのお願い

いつもご愛読いただき、ありがとうございます。皆様のおかげで、クリスチャントゥデイは月間40万ページビュー(閲覧数)と、日本で最も多くの方に読まれるキリスト教オンラインメディアとして成長することができました。

記事の一つ一つは、記者が取材をして書き上げ、翻訳者が海外のニュースを邦訳し、さらに編集者や校閲者の手も経て配信しているものです。また、多くのコラムニストや寄稿者から原稿をいただくことで、毎日欠かすことなくニュースやコラムを発信できています。

この日々の活動を支え、より充実した報道を実現するため、読者の皆様にはぜひ、祈りと共に、サポーターとして(1,000円/月〜)、また寄付(3,000円〜)によって応援していただきたく、ご協力をお願い申し上げます。支払いはクレジット決済(Paypal)で可能です。希望者には、週刊メールマガジンも送らせていただきます。サポーターや寄付の詳細、またクレジットカードをお持ちでない方はこちらをご覧ください。

  • 金額を選択:
  • 金額を選択:

コラムの最新記事 コラムの記事一覧ページ

主要ニュース

コラム

人気記事ランキング