神さまが共におられる神秘(27) 相手を赦して、神の光のもとにさらす 稲川圭三

2017年9月10日06時36分 コラムニスト : 稲川圭三 印刷
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2014年9月7日 年間第23主日
(典礼歴A年に合わせ3年前の説教の再録)
言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる
マタイ18章15~20節

入祭のあいさつ

年間第23主日を迎えています。

神さまは私たちの牧者です。私たちの中の1人でも滅びることを決してお望みにはなりません。しかし、私たちはいろいろなことに迷って、本来いるべきところから逸(そ)れていってしまいます。その私たちを本当のいのちの場所に連れ戻すようにいつも働きかけてくださるお方が、私たちの主である神さまです。

その招きに応えて、私たちが本当に生きるべきいのちに結ばれて生きる者になりますように、今日も私たちの心を改め、その道を歩ませていただきたいと思います。

説 教

今日の福音の箇所全体は、神さまの「大きなお心」の中で読まれる必要があります。神さまの「大きなお心」とは、「小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない」(マタイ18:14)ということです。

今日の箇所の直前に書かれているのは、「迷い出た羊」のたとえ(12~14節)です。だから今日の福音は、そのたとえ話を具体的に説明している箇所と言ってもいいのです。それはこういう話です。

「あなたたちの中で100匹の羊を持っている人がいて、そのうちの1匹が迷い出たとすれば、99匹を山に残しておいて、迷い出た1匹を探しにいかないか。探しに行くだろう。もしそれを見つけたら、迷わずにいた99匹より、その1匹のことを喜ぶだろう?」という話です。

このように、「私たちの父である神さまは、その小さな1匹の滅びをも決してお望みにならないお方なのだよ」というのが「迷い出た羊」のたとえが伝えていることです。

今日の福音はそのたとえ話の直後に書かれています。だから、「兄弟が罪を犯して、どこか道から外れて迷い出てしまったら、連れ戻すようにしなければならない」というのが今日の福音の前半です。「1回だけでなく、連れ戻すためには繰り返し働き掛けるのだよ」というのがその教えです。

今日の福音の後半では、イエスさまはこう言われます。

「はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(18節)

これはどういうことかと言うと、「あなたがたがすることは、神さまがなさることと1つに結ばれている」ということです。

それはどうしてなのかというと、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」からです(20節)。つまり、「私たち一人一人の中にイエスさまがいてくださる」から、「あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる」と言われているのです。

ここでいう「あなたがた」という言葉は、イエスさまの名のもとに集まる「二人または三人」のことを言っています。ですから、今日の福音は私たちへの呼び掛けです。

「あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる」という言葉は、もしかしたらちょっとピンとこないかもしれません。

この言葉と同じ意味のことを、聖書の別の箇所で、イエスさまが違う言い方で、もう少し具体的に表している箇所があります。それはヨハネ福音書20章で、復活したイエスさまが、裏切った弟子たちを赦(ゆる)し、彼らに聖霊という「息」を吹き掛けて言われる場面です。

「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」(21節)。そう言ってから彼らに「息」(聖霊のことですよ!)を吹き掛けて言われます。

「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」(22~23節)

これが今日の箇所と同じ意味です。聖霊を吹き入れることによって、イエスさまご自身が弟子たちの中に立たれるのです。つまり、「あなたたちが赦せば、あなたたちの中にいる私がその赦しを行う。だから、赦せ。もし、あなたがたが赦さないなら、あなたがたの中にいる私がその赦しを行えないままになってしまう。だから、赦せ」という命令です。「赦しても、赦さなくても、どちらでもよい」というのではありません。「赦せ」という命令なのです。

今日の福音の中の印象的な言葉は、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」という言葉です。

イエスさまは、私たちと共にいてくださるお方です。イエスさまは、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28・20)と言ってくださいました。イエスさまは私たちと一緒にいてくださるのです。

常々申し上げていますが、イエスさまは私たち一人一人の内に、私たちと同じ顔と体の向きで一緒に生きてくださっているお方だと思います。だから、私たちが人を赦す時、私たちの内にいてくださるイエスさまがその「赦し」を完全に行ってくださいます。だから「赦せ」と命じられているのです。

もし私たちが赦さないなら、赦されないまま「残ってしまう」。そんなことがあってはならないから「赦せ」。それがイエスさまの命令です。

最後に、今日の福音の中に登場する1つの言葉の意味を説明させていただいて、話を結びたいと思います。

今日の福音の最初に出てきた言葉、「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる」(15節)という中の、「忠告」という言葉です。

「忠告する」というと、自分の考えを相手に「言い聞かせる」「認めさせる」というイメージがあるかもしれません。けれども、「忠告する」と訳されているギリシャ語の「エレンコー」の根源的な意味は「光のもとにさらす」という意味です。

どんな光のもとにさらすのか。「小さな者の1人の滅びをも決してお望みにならない」神さまの光のもとにその人をさらす。たとえ、その人の行いが悪かったとしても、その人の内に「神さまが共におられる」という神さまの愛の光のもとにさらす。それが「忠告」という言葉の表す根源的な意味です。

今日も1日、「神さまが共にいてくださる」という真実に結ばれて生きることができますように。そして、その真実を周りの人にも告げることができますように。「あなたの中に神さまのいのちがある」という光のもとにさらす「忠告」を人にしていくことができるよう、一緒にその恵みを願いましょう。私たちがその恵みを願うより前に、イエスさまご自身が私たちの中でその恵みを行えるよう願ってくださっていますので、そのお心に信頼を置きたいと思います。

稲川圭三

稲川圭三(いながわ・けいぞう)

1959年、東京都江東区生まれ。千葉県習志野市で9年間、公立小学校の教員を務める。97年、カトリック司祭に叙階。現在、カトリック麻布教会主任司祭。著書に『神父さま おしえて』『イエスさまといつもいっしょ』『365日全部が神さまの日』『神さまのみこころ』(いずれもサンパウロ)など。
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