戦国に光を掲げて―フランシスコ・ザヴィエルの生涯(1)叫び求める声

2017年8月31日07時05分 コラムニスト : 栗栖ひろみ 印刷
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1547年夏のこと。マラッカにおいてイエズス会の世界宣教会議が開かれた。この会議では、未開発の地域の人々にいかにして福音を伝えていくかが熱心に討議されたが、その時、教皇代理としてすでにゴアやモルッカ諸島の教化に尽くしたフランシスコ・ザヴィエルという宣教師が、突然自分の抱負を語った。

「少し前からこの耳に、叫び求める人々の声が聞こえるのです。『私たちを救ってください』と言っていました。そこは小さな島で、多くの人が苦しんでいるのです。ポルトガル商人は黄金の島だと言っていますが」

「パードレ(神父との意)、やめたほうがいいですよ。私はその島を知っています」。1人のイエズス会士が引き留めた。「黄金の国だなんてとんでもない。血と泥にまみれた、まさに地獄です」

しかし、ザヴィエルの決意は変わらないようだった。

会議が終わったとき、丘の下から5人の者がやって来た。ザヴィエルと顔なじみのジョルジュ・アルバレス船長とポルトガル商人メンデス・ピントーは懐かしげにあいさつしてから、後ろにいる3人の若者を紹介した。

見たことのない顔立ちである。黄色い皮膚、そして糸のように細い目をしており、黒髪をきちんと後ろで束ねていた。ジパング(日本)から来た商人だということだった。

「はじめまして」。ザヴィエルは微笑しつつ、手を差し出した。すると、3人の若者は膝の上に両手をきちんとそろえて頭を下げた。これが彼らのあいさつのようだった。取りあえず、ザヴィエルは自分が宿泊している小屋に3人を案内した。

「パードレ、井戸を見つけたので水を汲んできました」。その時、ゴアからついて来たインド人水夫のアマドールがやって来た。その肩で猿がキイキイと鳴いた。すると、3人の中で一番背の高いヤジロウと呼ばれる若者は微笑した。「猿は日本にもいます」。彼はたどたどしいポルトガル語で言った。

その夜のことである。ザヴィエルがまだ床に就かず黙想をしていると、見張り役をしていたハチヴェ族のマノエルが怪しい男がいると告げる。出てみると、それはあの日本から来た若者ヤジロウであった。彼らはすぐ近くに宿泊していた。

「パードレに相談があります」。彼は小声で、つかえながら話した。それはこういうことだった。日本の鹿児島に住むヤジロウはある時、商売上のことで仲間と口論した末、はずみで相手を殺してしまった。そして役人に追われ、弟と使用人をつれて逃げ回った末、商売上の知り合いだったバアス船長に助けを求めた。

バアス船長は友人のフェルナンド・アルバレスに手紙を書いてくれたのだが、彼らは間違えてジョルジュ・アルバレス船長の船に乗ってこの地に来たのだった。

「それでパードレ、どこへ行っても心の中の声が私を責め立てるのです。おまえは人殺しだと。この苦しみにどうやって耐えたらいいのでしょうか?」

彼は泣き伏した。ザヴィエルは彼を抱き起こすと、イエス・キリストはどんな人間の罪をも十字架の上で贖(あがな)われたことを語って聞かせた。ヤジロウはこの夜初めてキリストを信じたのだった。

その後、ザヴィエルの紹介でゴアの聖パウロ学院に留学した3人は、そこでキリスト教教理を深く学び、洗礼を受けて、それぞれパウロ、ジョアン、アントニオという名前を授けられた。

1549年6月24日。いよいよザヴィエルは日本宣教のために出発した。随行したのはパウロ(ヤジロウ)、ジョアン(その弟)、アントニオ(使用人)と聖パウロ学院の教師トルレスとフェルナンデス、それにアマドールとハチヴェ族マノエルであった。日本に直行する船がないので一行はアーバンという中国人のジャンク(海賊船)に乗ってマラッカを出航した。

さて、このアーバンは占いに凝っていて、お告げと称し、遠回りをしたり、途中の島に寄ったりしていたが、このことが実は大変な悲劇を招くことになった。嵐が到来し、船が転覆しかけた瞬間、アーバンの6歳になる娘が甲板から海に落ち、波にさらわれたのである。

悲しみのあまりやけになった彼は、日本に行かず、わざと中国に向けて船を走らせた。この時、不思議にも南風が吹き始め、船は日本にぐんぐん運ばれていった。

「アーバン、いくらあなたが妨害しても、神様は日本に届けてくださいます」。ザヴィエルはこう言って、打ちひしがれたこの不幸な男に、天国で再び娘に会えることを告げ、永生の望みを語った。悲しみのどん底で、この男はイエス・キリストを信じた。

<あとがき>

この宣教のドラマは、奇跡としか言いようのない出会いによって幕を開けます。フランシスコ・ザヴィエルがマラッカで、1人の日本人青年と出会わなかったら、日本にキリスト教が伝えられることはなかったでしょう。

教皇代理であるザヴィエルは、当時インドからその周辺の諸島を回り、目覚ましい宣教活動を行い、多くの人から信頼され、愛されていました。そんな彼がある時、地図にも載っていない小さな島の住人が救いを求めている声を耳にしたのです。

この時、偶然1人の日本人青年がマラッカにやって来ました。彼はヤジロウという名の商人で、ふとしたことから商売仲間とけんかをし、相手を殺してしまい、アルバレスという船長の船で日本を逃げ出します。

しかし、別の船長の船に間違えて乗ってしまい、マラッカに着き、ザヴィエルと会うことになるのです。このように一見偶然と思われるような出会いを通して、神様は奇跡を実現なさるのです。

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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)

1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。派遣や請負で働きながら執筆活動を始める。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。動物愛護を主眼とする童話も手がけ、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で、日本動物児童文学奨励賞を受賞する。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝の連載を始める。編集協力として、荘明義著『わが人生と味の道』(2015年4月、イーグレープ)がある。

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