こころと魂の健康(53)成熟したパーソナリティーとは何か 渡辺俊彦

2017年8月13日20時37分 コラムニスト : 渡辺俊彦 印刷
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私たち(牧師、相談業務)は、さまざまな問題や課題について相談されることが日常的です。それだけ専門性とアセスメント力が求められます。しかし、ふと気が付くことは、「成熟したパーソナリティーとはどんな姿か」を理解しているのかということです。この点は盲点のように感じます。

成熟したパーソナリティーがどんな姿かを理解することは必要です。なぜなら、成熟したパーソナリティーを理解していないと、どこを目指すべきなのかが曖昧になってしまうからです。そこで大切なことは、「成熟したパーソナリティーとはどんな姿か」を知ることです。

私たちキリスト者は、再臨の主キリストとお会いするときに「完成したパーソナリティーとなる」ことを知っています。それは、完全な神の像の回復であり、栄化ということに他なりません。ですから、地上にいる間は、成熟したパーソナリティーを目指すことが適切ではないかと思うのです。

私たちは、それぞれ成育歴(養育環境など)が違います。しかし、誰しもが成熟したパーソナリティーを目指しているのではないでしょうか。それは、クリスチャンにとって神様との関係、自分との関係、人との関係を健全なものにすることを意味します。

そうすることによって、バランスのとれた豊かな生涯を歩むことを可能にするのです。では、成熟したパーソナリティーとはどんな姿でしょう。

第1に、「待つことができる人」です。子どもは、自分の欲求を満たすために「だだっ子」になることがあります。人は、幼ければ幼いほど待つことができないものです。また、人は1つの答えを出すために、悩み苦しみながら1つの答えを出します。

しかし、未熟なパーソナリティーの人は待てません。すぐに答えを求めるのです。神様に対しても同じです。それに対して、成熟したパーソナリティーは、人が1つの答えを出すまで待つことができます。待つことは他者を信頼し、他者の力に期待と希望を待つことだからです。

第2は、「他者を愛せる人」です。他者を愛せる人は自己中心的ではありません。混同してはいけないことは、恋と愛の根本的な違いがあるということです。恋と愛はどう違うのでしょうか。それは、恋は自己中心で、愛は他者中心ということです。ですから、成熟したパーソナリティーの人は「他者を恋する人」ではありません。

あくまでも、成熟したパーソナリティーは「他者を愛せる人」だということです。他者を愛せる人とは、どんな姿でしょうか。他者を愛せる人は、他者に与え続けても乾きません。また、自分のとる行動が周囲の人にどのような影響を与えるか、思慮深く考えて判断できる人です。そして、適切な行動を選択することができます。

それに対して、自己中心的な人は自分のことしか考えません。そのため、自分の周囲にいる人は自分のニーズを満たすためにだけ存在すると勘違いしているということです。また、自分のニーズを満たすために人をコントロールしようとします。教会の人間関係の中でも、自分のニーズを満たすために人をコントロールしようとする関係性が起こっています。気を付けましょう。

ここで注意すべき点が1つあります。それは、愛情豊かに育った人の中に、自分のニーズを満たすために人が存在するかのような感覚の人が存在するということです。典型的な例として、最近の医学生の事件の姿に見ることができるのではないでしょうか。このような傾向のある人は、偽りの万能感を持っているのです。そのため、自分と他者を区別することができません。そして、人を支配しコントロールしようとしてしまうのです。

これは、決して愛ではありません。口先でどんなに愛を語り、愛の行動をとったとしても、愛は届きません。愛は名詞ですが、中身は動詞です。愛はアクションです。愛の行動が伴わない人は、他者を愛する人ではないということです。

このような人は、平気で他者の領域に踏み込み、自分の思い通りに他者をコントロールしようとします。そのため、口先でいくら優しい言葉を言われても、他者は愛されているとは感じないものです。その結果、このような人と関わると「コントロールされている」「利用されている」と感じてしまうものです。

ある牧師は教会で、「愛という名の支配欲とエゴイズムの恐ろしさを知りました」と疲れ果てていました。また、「愛という名の律法主義に疲れてしまいました」という牧師もいます。また、その逆の言葉も聞きます。

牧師も含め、教会の人間関係を振り返る必要があると思います。教会はキリストの体であり、集合人格です。ですから、成熟したパーソナリティーは、健全な教会形成に結びつくはずです。成熟したパーソナリティーを形成したいと思います。

第3は、「自分に与えられた責任を果たせる人」です。この言葉の意味は、一般的に自分に与えられた仕事や学びなどを最後までやり遂げるという意味で使われています。しかし、ここでいう「自分に与えられた責任を果たせる人」とは、神様から委ねられた自分の人生に責任を持って最後まで管理する良き管理者のことです。

その意味は、自分の人生に対する責任者はあくまでも自分自身だということです。なぜなら、自分の人生に対する責任を負えるのは自分自身しか存在しないからです。私たちは神様から、賜物、才能、さまざまな資源、さまざまな人間関係、24時間という時間、それぞれ成育環境や職場環境などが与えられています。それを自分の責任において、適切に管理しなければなりません。

私たちは、神様から自分自身の人生に対し、良き管理者となるよう求められているのです。私が大学院で学んでいるとき、1人の教師が「モーセの生涯の財産は1本の杖だった。その杖をモーセは適切に管理した。そして、神はその杖を用いて神ご自身の御業をなした」と。

ですから、成熟したパーソナリティーは、神様から自分に与えられている「感情」「態度」「行動」「選択」「限界」「才能」「思考」「願い」「価値観」「愛情」などを適切に管理できる人です。決して、人生で避けることのできない失敗や挫折を経験しても、人に責任転嫁しません。

むしろ、自分と向き合い、さらに適切に管理できる者と成長するのです。神様から自分に与えられたさまざまな財産を適切に自己管理できる人は、人生をより豊かにするものなのです。

第4は、「自由に選択できる人」ということです。自由とは傍若無人に振る舞うことではありません。この「自由に選択できる人」というのは、「自分が責任を負える範囲を知って承認している人」ということです。このような人は、自分が負える責任の範囲を承認しているため、物事に対して無理をしてまで引き受けることを避けることができます。

それは、適切な「NO」を言えるからです。適切な「NO」を言える人は、自分の責任を負える範囲内で自由な選択ができる人です。このような人は、決して失敗などを責任転嫁しません。そのため、心に自由があります。自由に責任を持って選択のできる人は、自分が負える責任の範囲が拡大し、さまざまな可能性が開けてくるようになるのです。

そのためにも、自己評価と他者評価がどれくらい違うかを知ることが大切です。それによって、自分の責任を負える範囲を客観的に知ることができるからです。自己評価と他者評価がどのくらい一致しているのか、していないのかを知るために、人の力を借りてください。

私たちは、現実の生活の中で「NO」を言うことに恐れを感じます。なぜなら、私たちは「NO」を言うと、「評価が下がるのではないか」「嫌われるのではないか」「関係が壊れるのではないか」と恐れを感じるからです。

本物の関係は、「NO」を発信しても壊れない関係です。本物の関係を築くためにも「自由に選択できる人」になりましょう。教会の人間関係で、「NO」を言っても壊れない関係構築ができたら素敵です。人は愛を感じるでしょう。

第5は、「今の自分の現実を受け入れることができる人」ということです。私たちの人生は、勉強にしても仕事にしても毎日の積み重ねです。その結果、良い時もあれば悪い時もあります。その現実を受け入れることができる人です。私たちの人生は、何らかの結果がついて回ります。その結果を受け入れるところから、人生の生き甲斐や喜びの人生へと向かうことができるのです。

いつも自分の現実を受け入れることができないと、同じ失敗や苦難を繰り返し、責任転嫁をしてしまいます。そして、生きづらさも感じるでしょう。このような人は、今の自分の現実を受け入れるところから建設的な人生が始まることを知ることが求められます。

今の自分を受け入れることは、大きな勇気が必要でしょう。自分の能力、才能、経済力、社会的地位や立場などを受け入れることは大変な勇気が必要です。私たち一人一人が勇気を持って現実の自分を受け入れるところから、身の丈で歩むことが可能になるのです。そこから、さまざまな可能性が生まれてくることを知ってください。

第6は、「主体的な人」ということです。主体的な人は、自分自身で目標設定し歩き出せる人です。

パウロは「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです」(ピリピ3:13~16)と言っています。

パウロ自身は、イエス様に出会い、人生が変わりました。パウロは、主体的に責任を持って人生の設定目標を変えることができる人に変わったのです。福音は、人を主体的な人に変えるものです。私たちは、福音によって取り扱われ、主体的な人生を、責任を持って生きていきましょう。

第7は、「成長できる人」ということです。成長できる人は、問題などが生じても責任転嫁せず、自分と向き合うことができる人です。このような人は、自分が悪かったときは素直に責任転嫁せず、自分の非を認めることができます。そして現実に向き合い、どう対処するか考えることができます。そればかりか、切り替えが早く、方針や行動を変えることなどに柔軟に対応できる人です。また、人を赦(ゆる)すことができます。

逆に成長できない人は、自分の願いや要求を速やかにすることを求めたりします。待てないのです。そして、怒りを爆発させやすいものです。また、自分のやり方などに固守しようとし、臨機応変に対応できません。困ったものです。成長できる人になりましょう。

第8は、「真実と誠実を愛する人」です。真実に誠実に生きようとする人は成長していくものです。逆に、不誠実や誠実を避けようとする人は、多くの裏切りを経験し、人との親密性を破壊します。そのため、健全な人間関係を築くことができません。

なぜ、このようなことになるのでしょう。養育環境の中で、人間関係などに失敗し、挫折をしたとき、否定的なメッセージ(怒られたり、恥ずかしい思いをさせられたり、責められ突き放されたり)を継続的に受け続けると、真実に誠実に人と関わってはいけないのだと学習してしまうのです。

そして、同じことが起こるかもしれないという恐れに心が支配されてしまいます。そのため、自分の真実な姿を出せなくなってしまうのです。その結果、人と誠実な態度で関わることができなくなるのです。

このような状態で人と関わると、自分の真実な感情を適切に表現できないため、演技をするようになってしまいます。このような人は、生きづらさを味わうだけでなく、人を傷つけてしまうことになってしまいます。それだけに、自己対話がどんなに大切かということです。

第二テモテの手紙3章16、17節に、「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです」とあります。

本来、聖書は私たちの全人格的成長を遂げさせる機能を持っています。成熟したパーソナリティーになるために、さまざまな研究成果があります。それらも大切です。しかし、人間は最終的に御言葉によって探られ、取り扱われることが成熟したパーソナリティーを形成するために必要です。人間は、神に似せて神の像に創造されているのですから・・・。

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渡辺俊彦

渡辺俊彦(わたなべ・としひこ)

1957年生まれ。多摩少年院に4年間法務教官として勤務した後、召しを受け東京聖書学院に入学。東京聖書学院卒業後、日本ホーリネス教団より上馬キリスト教会に派遣。ルーサーライス神学大学大学院博士課程終了(D.Mim)。ルーサーライス神学大学大学院、日本医科大学看護専門学校、千葉英和高等学校などの講師を歴任。現在、上馬キリスト教会牧師、東京YMCA医療福祉専門学校講師、社会福祉法人東京育成園(養護施設)園長、NPO日本グッド・マリッジ推進協会結婚及び家族カウンセリング専門スーパーバイザー、牧会カウンセラー(LPC認定)。WHOのスピリチュアル問題に関し、各地で講演やセミナー講師として活動。主な著書に『ギリシャ語の響き』『神学生活入門』『幸せを見つける人』(イーグレープ)、『スピリチュアリティの混乱を探る』(発行:上馬キリスト教会出版部、定価:1500円)。ほか論文、小論文多数。

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