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「わが人生、日本の青年に捧ぐ―知られざるポール・ラッシュ物語」 立教学院展示館で開催中

2017年8月13日06時20分 記者 : 坂本直子 印刷
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+「わが人生、日本の青年に捧ぐ-知られざるポール・ラッシュ物語-」 立教学院展示館で開催中
29歳のポール・ラッシュ(=写真手前)と共に、立教大学就任に深く関わった聖三一教会で米国聖公会のビンステッド司祭、立教の首脳者であるマキム主教、立教学院総理のライフスナイダー主教の写真が並ぶ=8日、立教学院展示館(東京都豊島区)で
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山梨県清里を開拓した宣教師であり、「日本フットボールの父」としても知られるポール・ラッシュ(1897~1979)。今年で生誕120周年となるのを記念し、立教学院展示館では、第3回企画展「わが人生、日本の青年に捧ぐ―知られざるポール・ラッシュ物語」(主催:立教学院、清泉寮 / キープ協会)が開催されている。

米ケンタッキー出身のポール・ラッシュは、関東大震災で崩壊した東京と横浜のYMCAを再建するため、1925年に米国の国際YMCAから派遣されて初来日した。その翌年、立教の最高責任者であるジョン・マキム主教の依頼により立教大学教授に着任。日米開戦で強制送還されるまで多くの若者を導き、聖路加国際病院建設のための募金活動や、日本聖徒アンデレ同胞会(BSA)設立などの社会事業にも取り組んでいる。戦後はGHQの一員として再来日し、立教学院の再建に尽力したほか、戦後の食糧難を打開するため清里を開拓し、「清里農村センター」(現・キープ協会)を設立した。

同館の豊田雅幸さんはラッシュについて、「多彩かつ広い人脈を生かしていろいろな活動をしていますが、彼の思想の根っこには『日本の青年のために』という強い思いがあります」と話す。同展では、その多様な働きの根底にある思いと足跡を「立教大学教授」「アメリカンフットボールの父」「米国陸軍・GHQ将校」「清里の父」という4つの側面からひもといていく。戦後、ラッシュが、日本の聖公会を現地の教会として機能させるため、立教大学と聖路加国際病院を1つにする構想を描いた組織図の大型資料は初公開となる。

「わが人生、日本の青年に捧ぐ-知られざるポール・ラッシュ物語-」 立教学院展示館で開催中
初公開となる、立教大学と聖路加国際病院を1つにする構想を描いた大型資料(キープ協会所蔵)。このページには、双方が一緒になった場合の組織図が記されている。

来日して間もない29歳のラッシュの写真のところには、当時の夢が、米国に帰国してホテルマンになることであったことや、聖三一教会米国聖公会のビンステッド司祭に立教大学で教師になることを勧められた時、「自分は教師や宣教師の仕事をするような立派な人間ではない」と断り続けていたというエピソードが紹介される。また、立教着任後は、エリザベス・サンダースホーム創立者の澤田美喜や、ハリウッド化粧品のメイ牛山など、さまざまな分野の人と親交を結んでいたことに驚かされる。

「わが人生、日本の青年に捧ぐ-知られざるポール・ラッシュ物語-」 立教学院展示館で開催中
展示場の入り口では、「立教大学教授」「アメリカンフットボールの父」「米国陸軍・GHQ将校」「清里の父」4体のポール・ラッシュ人形が出迎えてくれる。

ポール・ラッシュの人生に最も大きな影響を与えたのは、聖路加国際病院を創設したルドルフ・トイスラー博士だ。28〜31年までラッシュは米国で病院再建資金を募るため、立教大学からトイスラー博士のもとに貸し出される。そこで募金活動のノウハウや経営方法、リーダーシップなど、この後につながるさまざまなことを学び、博士から贈られた言葉、「Do your best and it be first class(最善を尽くし、一流たるべし)」は彼の人生哲学となり、また今日のキープ協会のモットーともなっている。

日米開戦後に出た帰国命令では、米国聖公会との関係を切ってまでも日本に残りたいと願っていたが、日本軍によって強制送還を余儀なくされる。帰国後は、滞日体験を買われて米国陸軍情報部(MIS)の語学学校人事課長に就任。日系2世軍人の指導に当たり、米国各地の教会では戦後の日本救済への支援協力を訴えて講演活動を行っている。その中には立教大学への感謝の言葉も含まれたスピーチ原稿が残っており、それも展示されている。

「わが人生、日本の青年に捧ぐ-知られざるポール・ラッシュ物語-」 立教学院展示館で開催中
立教大学に着任したポール・ラッシュは、構内の5号館(学院校5号館)で生活を始めた。写真は5号館のお手伝いの女性に贈ったサイン入りの祈祷書

終戦と同時にGHQ将校として東京に戻ったラッシュは、戦時中、軍部に弾圧された立教大学を視察し、チャペルの荒廃を目にする。かつての立教大学との違いを問題視し、GHQから「信教の自由侵害の件」で11人の幹部追放指令を出す。これは戦後初の教育機関への指令だった。このことについて豊田さんは次のように語る。

「わが人生、日本の青年に捧ぐ-知られざるポール・ラッシュ物語-」 立教学院展示館で開催中
解説してくださった立教学院展示館の豊田雅幸さん

「ラッシュは戦前、立教で多くの学生を導き、日本BSAの働きにも情熱をかけて取り組んできました。ラッシュにとって、戦時下、チャペルを閉鎖し、キリスト教主義を完全に払拭(ふっしょく)した立教の姿は無念だったろうと思います。しかし、追放令を出すだけでなく、再生にも取り組んでいます。その1つが、小学校から大学にいたる立教学院の一貫教育の実現であり、48年には小学校を開設しました。ラッシュの立教への深い愛情を感じずにいられません」

「わが人生、日本の青年に捧ぐ-知られざるポール・ラッシュ物語-」 立教学院展示館で開催中
GHQ将校時代の制服と、終戦直後の立教大学に関わる文書や写真が並ぶ。

戦後の食糧難を打開するために開設した清里農村センターは、戦前、日本BSAの青少年訓練キャンプ場として山梨県八ヶ岳山麓の清里に建設された清泉寮を中心に作られた。日本BSAは、立教学院総理のライフスナイダー主教からラッシュが「学生たちの教父(God father)になってほしい」と言われて設立されたもので、立教大学のキリスト教の拠点でもある。

「わが人生、日本の青年に捧ぐ-知られざるポール・ラッシュ物語-」 立教学院展示館で開催中
「清里農村センター」(現・キープ協会)の設立に情熱をかけるポール・ラッシュの姿もアニメーションで見ることができる。

豊田さんは、次のように言う。

「ラッシュは亡くなるまで日本にとどまり、日本と日本の青年のためにその生涯をささげてきました。本来ならばもっと知られていいはずの人物です。この機会にぜひ多くの人にその活動や人となりを知ってほしい」

開催期間は2018年2月20日(火)まで。9月19日までは、平日午前10時〜午後5時まで。9月20日〜2月20日は、平日午前10時〜午後6時まで、土曜日は午前11時〜午後5時まで。9月19日までの期間は、土曜日は休館日となっている。詳細は立教学院展示館のサイトで。

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