混血児の母となって―澤田美喜の生涯(12)アマゾンに広がる夢

2017年8月3日13時26分 コラムニスト : 栗栖ひろみ 印刷
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美喜は講演のために何度かアメリカを訪れたが、11回目の時、素晴らしい収穫を得ることができた。それは「養子縁組」のための新しい法案ができたことであった。彼女の知らないうちに、アメリカの友人たちや、教会に連なるさまざまな職業人たちが協力し合って、少しずつこの運動を推し進めてくれたのである。

特にクリスチャンの医師や弁護士などがその力を発揮し、議会に働き掛けてくれたのだった。そして、ついに厚い壁が崩れ、「移民法案」と呼ばれる新しい法律が作られることになった。

これによると、養子希望者の住む州の議員が「養子縁組」の願書をアメリカ議会に提出する仕組みになっており、子どもが欲しい人なら誰でも混血児を養子にすることができるというものだった。こうして多くの混血児たちは続々と父親の国へ入って行った。

養子縁組をしてから数カ月後に、美喜がこれらの家庭を訪ねてみると、父、母、子どもそれぞれがとても幸せそうにしているので、彼女はそれまでの苦労が忘れられたように思った。そのうちのある家庭で、養母が子どもにこのように話しているのを聞いた。

「あなたは私たちが行くまで神様がミセス・サワダの所で預かってくださっていたの。私たちはこうして一緒に暮らすように導かれたのよ。ミセス・サワダはあなたたちを風邪1つひかずに丸々と太らせて待っていてくださったのだから感謝しようね」

彼らは、自分たちが実の親子でないことをはっきりと子どもに言い聞かせていた。そして、血はつながっていないけれど、親は子どもによって初めて幸福になれたのだということを伝えたのであった。このような愛情こそ、本物の愛情であった。

また、養子先に1人の成長した少女を訪ねると、11歳になったその少女は目を輝かせ、幸せそうに言った。「日本から来たミセス・サワダですって? ママは今留守です。私、あなたのこと知ってるわ。あなたは私たちを幸せにするために、私をママにあげた方なのね」。この時ほど、美喜は自分にこの使命を授けられた神に感謝したことはなかった。

こうして「エリザベス・サンダース・ホーム」の事業の基礎は固まってきたが、まだ大きな壁が目の前に立ちはだかっていた。日本の社会には、まだ人種差別の思想が強く残っていたからである。

道を歩けば、すれ違う人が変な目で見るし、汽車に乗れば、車内ではもちろんのこと、駅に着いた途端、窓の下に押し掛けて大声を上げる人がいた。「ほら、ごらん、黒ん坊がいるよ」。カメラマンがひっきりなしに写真を撮るので、泣き出してしまった子どももいた。

町のいたずらっ子たちは、子どもの姿を見ただけではやし立てた。「やい、パンパンの子! 黒ん坊の親なし子!」。寂しそうな子どもたちの顔を見たとき、美喜ははっと気付いたのである。(この子たちを本当に幸せにするためには、人種差別のない、大手を振って歩けるような国を探し、自由の大地を確保しなくてはならない)

1961(昭和36)年。美喜は新天地を開拓するためにブラジルに渡り、24カ所の日本人集落を見て回った。そして、ブラジルからアマゾンへと移っていった。そんなある日、3人乗りの小さな飛行機でトメアスという日本人の手で開拓された土地に着いた。「ああ、ここだ!」。思わず彼女は叫んだ。

そこは、日本人の手により立派に耕されていた。そこに住む人々は、家族そろって仲良く働き、毎日の生活を楽しんでいた。彼らの家々は四季を通して美しい花で覆われ、マンゴーやアボガドといった日本では高級な果実が枝もたわわに実っていた。

彼らは真っ黒に日焼けし、労働にいそしんでいたが、その顔は実に楽しそうで、誰もが自分の手で切り開いた土地を誇りにし、大切に守っていた。ジャングルの端には、古くからこの土地に住む開拓者たちの家があり、そこでは土地の人々との交流が行われていた。野球チームが作られ、試合をしたり、絵や料理の教室も開かれていたので、習いに来る人もいた。

美喜は、自分が愛し育てた子どもたちを手放すのにこの土地を選んだ。ここなら、子どもたちがのびのびと労働に励み、その豊かな収穫で生活を潤し、そこに住み着いている日本人と交流することができるだろう。

彼女は講演で得たお金、アメリカの友人から寄付されたお金、そして、父が生前譲ってくれたブラジルの株など残らずかき集めて、300平方メートルの土地をトメアスの原始林の中に確保し、子どもたちに実習訓練を積ませた後、送り出した。

<あとがき>

「養子縁組」の基盤も固まり、「エリザベス・サンダース・ホーム」の事業は国内でも海外でも注目されるようになりました。しかし、美喜は最後の壁にぶつかります。それは、日本の社会に今なお強く残る人種差別の思想でした。

美喜は愛する混血児たちが本当に幸せに自分たちの人生を自ら切り開いていくために、彼らを南米のアマゾンに移住させることを決意します。そして、アマゾンの各地を視察して回った末に、トメアスという日本の先住民の手で開拓された場所を見つけます。そこで日本人たちは地域の人々と交流しつつ、土地を耕し、労働にいそしみ、なおスポーツや文化を楽しんで人生を謳歌(おうか)していました。

美喜は寄付金や株を売ったお金すべてを投じて300平方メートルの土地を彼らのために購入し、そこに職業訓練を済ませた子どもたちを送り込みました。これが、彼女が混血児たちになした最後の奉仕であり、最大の愛の贈り物でした。

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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)

1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。派遣や請負で働きながら執筆活動を始める。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。動物愛護を主眼とする童話も手がけ、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で、日本動物児童文学奨励賞を受賞する。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝の連載を始める。編集協力として、荘明義著『わが人生と味の道』(2015年4月、イーグレープ)がある。

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