思い出の杉谷牧師(8) 下田ひとみ

2017年10月6日06時45分 執筆者 : 下田ひとみ 印刷
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8 気管切開したキリスト

 

先生は年をとった。禿(は)げたり薄くなったりすることのなかった髪は、文字通り雪のように波打ち、飛び出た長い眉(まゆ)も、白く目の上を覆っている。背すじを真っ直ぐに、いつもきちんと背広を着て講壇に立つ先生は、私たちの目になかなか老人とは映らなかった。が、身体は確実に衰えていた。

もともとあった呼吸困難が、もっとひどく、もっと頻繁になり、医者に行くと血液中の酸素の量が大変に少ないと驚かれた。時々チアノーゼも起こし、青紫の唇(くちびる)をして苦しそうな息をしている。

ある集会でひどい呼吸困難におちいった時、先生は緊急に届けられたボンベの酸素を吸ってなんとか助かった。それ以来、先生は酸素ボンベを手放さず、どこに行くにもこれを手に出かけていった。

思い出の杉谷牧師(8) 下田ひとみ

「先生が見舞いにきてかあさって、ボンベを持っとんさるだけ、話を聞いてみると、先生の方が私よりよっぽど重病人なんだが。私もう、すっかり恐縮してしまってなあ」

こんな言葉を私たちは、何度聞かされたかしれない。

「先生、大丈夫ですか」

「あ、うん、大丈夫だよ」

同じ問答は幾度も繰り返された。

「でも顔色が悪いですが、先生、今日はお休みになられたら」

けれど私たちの心配をよそに、先生は病人の見舞いや人々への訪問をやめなかった。

最後まで……。

 

72歳の夏、先生は胃癌(いがん)になった。大変困難な手術を受け、術後も呼吸器がなかなかはずれず、気管切開してカニューレをつけ、先生は言葉を話すことができなくなってしまった。

容体は常に不安定だった。持ち直したと思ったら悪化、安定したかと思うと急変。

でも先生は明るく、くじけなかった。付き添いの奥さんとふたり、病室で人々のために祈る日々。その姿に接して主治医は、未信者でありながら先生のことを「気管切開をしたイエス・キリストだ」と本に書いた。

しかし、手術から1年4カ月後の、74歳の誕生日を迎えた11月、先生の容体は最後の悪化に向かっていった。

神奈川に住んでいる私のもとに危篤の報せが入ったのは29日だった。翌日、平成6年11月30日の午後、先生は息をひきとった。

付き添っていた牧師が、先生のために最後の祈りを捧げた。

主治医が、

「このお祈りが終わった3時32分を臨終の時刻としましょう」

といった。

こうして先生は逝った。

入院後、1度も家に帰ることなく、気管切開のカニューレをはずすこともないままで……。

 

教会の庭の落葉が、傾きかけた穏やかな陽を浴び、黄金色に輝いている。

私は教会前の道に目をやって、実家からの迎えの車を待っていた。

先生の死を知らされ、羽田を飛び立ったのは3時間前だった。鳥取空港からまっすぐ教会に向かい、花に埋もれ、冷たくなった先生と会ったのは1時間前。前夜式に備えて会堂には椅子が並べられ、先生の死を悼み届けられたたくさんの花が講壇の周りを飾っている。

思い出の杉谷牧師(8) 下田ひとみ

でも私にはそれらすべてが、どうしても現実のことのようには思えなかった。

教会がある。ステンドグラスも鐘もない、木造の古びた会堂。冬には隙間風が入り、夏はサウナ並みの暑さ。だがこの会堂の隅々に至るまで、その床も、その壁も、その天井も、杉谷先生の声が染み通っている。

それは日曜の説教であったり、祈祷会の聖書の説き明かしであったり、祈る声であったり、賛美歌を唱う声であったりした。この会堂で先生はたくさんの人の洗礼式を行い、多くのカップルの結婚式を司り――それなのに、ここで今夜は先生の前夜式をし、明日は先生の告別式をするのだ。

とても不思議だった。

先生の奥さんがさっきから、箒(ほうき)を手に教会の前を掃いている。辺りには誰もいない。どこが変わったというのだろう。先生が牧師館から今にもひょっこり出てきそうだ。

「やあ。帰っとったんか。お帰りなさい」

先生は私の姿を見たら、懐かしそうにきっとこういうだろう。あの飛び出した長い眉毛を、ちょっとだけ下げて、聞き慣れたあのかすれた声で。

 

私は思い出していた。20年前、教会に行き始めた頃、私はどうしても神が愛であるということが信じられず、先生に訊ねたことがあった。その頃の先生の髪はまだ黒く艶々(つやつや)としており、私は世の中の不条理に怒りを覚えていた若い娘だった。

「神様が愛なら、聖書に書いてあるように本当に人間を愛しておられるなら、なぜ戦争が起こり、無意味に死ぬ人があり、障害者が生まれ、数えきれない世の中の悲惨というものがあるのですか」

私は真に答えが知りたいと思ってそんな質問をしたのではなかった。さまざまの本を読み、自分なりに考え、私はこのことに対する答えはないとついに確信し、同時に深く絶望していた。ただキリスト教では何と答えるのか、そのことが知りたかったのだ。

その時の私は先生の家の玄関に立って、挑むように先生を見上げていた。

「ごめんください」

と、がらがらと戸を開けて、出てきた先生にいきなりこんな質問を浴びせかけた私は、先生の眼にどう映っただろう。

先生は黒い眉毛を緊張の面持ちでまっすぐに伸ばし、何事か考えているようだった。

その時間は意外にも長くつづいた。

私は拍子抜けする思いだった。こんな質問にはお決まりの常套語がきちんと用意されていると思っていたからだ。

「それは……」

ついに先生は顔を上げた。

「わしにもわからん」

衝撃的な言葉だった。

じゃあ、この人はわからないことに半生を捧げ、牧師にまでなったというのだろうか。

私にとって真の意味での求道は、この時から始まったのだ。

先生は今、神のもとにいる。神と直接に顔と顔を合わせている今なら、先生はあの時の私の質問に答えることができるだろう。神の愛――その深遠を、今こそ先生は理解し、味わい、心ゆくまでその幸福に満たされているだろうから。

先生がこの地上から姿を消し、私は真実に悲しい。涙は心からわいてくる。でも、私もいつの日かそこに行く。別れは限られた間だけなのだ。

思い出の杉谷牧師(8) 下田ひとみ
執筆者・下田ひとみさんの洗礼式

「迎え、まだ来んの?」

奥さんの声で私は我にかえった。

「ええ、でもきっともうすぐだと思います。それより奥さん」

私は奥さんの手から箒を取りあげようとした。

「喪主がこんなことしとんさったら、いけんが」

その時、端田のおばちゃんが教会から出てきた。

「まーあー奥さん、何しとるだあー」

3人で箒の取り合いが始まる。

風が会堂の窓ガラスを鳴らし、落葉を躍らせた。

あと4時間で、先生の前夜式が始まる。

下田ひとみ

下田ひとみ(しもだ・ひとみ)

1955年、鳥取県倉吉市生まれ。77年、鳥取福音ルーテル教会で杉谷秘伯牧師から洗礼を受ける。86年から91年にかけて沖縄本島に暮らし、現在は鎌倉市在住。逗子キリスト教会会員。著書に、『トロアスの港』『勝海舟とキリスト教』『翼を持つ者』『うりずんの風』(いずれも作品社)『雪晴れ』(幻冬舎ルネッサンス)『落葉シティ』(文芸社)。
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