神さまが共におられる神秘(21) 真実に気付いたら、自分を売り払って、真実の中に生きる 稲川圭三

2017年7月30日05時32分 コラムニスト : 稲川圭三 印刷
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2014年7月27日 年間第17主日
(典礼歴A年に合わせ3年前の説教の再録)
宝を見つけた人は、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う
マタイ13章44~46節

説 教

今日、イエスさまは「天の国」のたとえを話されます。「天の国」というのは「神の国」のことです。ユダヤの人たちは神さまを恐れ尊ぶあまり、「神」という言葉を使わず、「天」という言葉でその意味を表しました。ですから「天の国」とは「神の国」のことです。

「神の国」とは、神さまが私たち一人一人と共にいて、私たちの中にお住まいになっておられるという真実のことです。「天の国」とは「神の国」。どこか遠く、私たちと関わりのない、何かかけ離れたところなのではありません。もう私たち一人一人の内に「永遠」という神さまがすでに共にいてくださるという真実のことを「天の国」「神の国」といいます。

この真実は1人の例外もありません。すべての人にとっての神さまの真実です。「私には神さまはいない」ということはありません。神さまを見損なってはならないのです。神さまは共にいてくださるというお方です。そういうお方なのです。

今日の福音は、その真実を「そうか」と見いださせていただいた人は、それを喜んで受け取り、全財産を売り払ってでも自分のものにするという話です。

イエスさまの時代は、銀行があっても、つぶれてしまったり、それに対する保障もなかったので、土の中に財産を埋めるのが最も安全で賢い管理方法でした。

ところが、戦争が起こって、隠した本人が捕虜に連れて行かれたり、その人が死んでしまったりしたら、土の中に財産だけが誰にも知られずに眠ることになります。それが「畑に宝が隠されている」(マタイ13:44)という言葉が意味することです。

下世話な話になりますが、「徳川の埋蔵金」という話がありますね。それはそれはすごい金額が隠されているらしい、という話です。何かのきっかけでそれを見つけてしまったら、どうするか。たぶん、そのまま隠しておくでしょう。人に取られないように(笑)。それで、「喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う」でしょう(44節)。今日のたとえもそういった意味です。

イエスさまはこのたとえを通して何をおっしゃろうとしているのでしょうか。「神さまが私たちと共にいてくださる」というその真実は、見いださせていただいたならば、すべてのものをなげうって自分のものにする、自分のものにしなければならない、そういう関わりであるということを教えておられます。

だから、今日のたとえ話は1つのことを私たちに教えます。「神さまが私たちと共にいてくださる」というその真実に出会わせていただいたならば、すべてのものをなげうってでも自分のものにするということです。

「徳川の埋蔵金」の話に戻りますが、見つけて、その山でも買って自分の土地とすれば、自分のものになるわけですよね。潜在的には、そして可能性的には、みんな自分が持つことができると言うことができます。埋蔵金。でも、それが自分のものとなっているかと言ったら、違うでしょう。

それと同じように、神さまはもう私たち一人一人と一緒にいてくださるお方なのですが、それはまだ自分のものとされていない。その真実と出会わせていただいて「自分のものにしなければならない」、そういう出会いなのです。

神さまは共にいてくださるお方です。そしてそのことは、気づかせていただいただけでは足りないのです。そのいのちを一緒に生きることを通して、「自分のものにしなければならない」のです。

私の父が3月に亡くなりました。そして今、父は私の中に私と同じ向きで生きていてくれると私は理解し、受け取らせていただいています。

でも、最近分かってきたことがあります。父が自分の中でただ一緒にいてくれると気付くだけでは足りないのだということです。父が一緒にいてくれるだけでなく、私も父と一緒にいなくてはならないということです。

父は小学校を出るとすぐ川口の鉄工場に丁稚奉公に出て、20歳過ぎて兵隊に行きました。戦争から帰ってからも鉄工場で働いて、子どもを5人もうけ、今年91で亡くなりました。何か大きなことをしたわけではないけれども、本当に家族にも人にも誠実に生きた人でした。

その父が私の中に一緒にいてくれるので、私も誠実に生きなくてはならないのだと思うようになりました。私は家族である「教会」に対してもっと誠実でなければならないのだと、前よりもはっきりと分かるようになりました。

そして、順序が逆かもしれないけれども、そのことをきっかけとして、前よりももっとはっきりと、「共にいてくださる神さま、同じ向きでいてくださるイエスさまと一緒に生きなくてはならない」と思うようになりました。「畑に隠された宝」とは、私たちの中に神さまがお住まいになっておられること、そして共にいてくださる神さまの中にイエスさまがお住まいになっておられることです。そのことに気付いたら、私たちもその中に入って生きなければならないのです。

入るとは、具体的には、イエスさまの教えに従って一緒に生きることです。イエスさまの教えはそんなに複雑なものではありません。出会う人の中に「神が共におられる」と認めて生きることです。そうすることが私たちに求められているのです。

そう思えても、思えなくても、理解できても、できなくても、相手の人の中に「神さまが共におられる」と認める。今、隣にいる家族や友人の中に「神さまが共におられる」と認める。もしかしたら、けんかをして仲たがいをしているかもしれないあの人の中にも「神さまがあなたと共におられます」と心の中で祈って認める。これが必要なことです。

「持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う」というたとえの意味はそういうことではないでしょうか。つまり、「神さまが共におられる」という真実を、すべての価値の上に置くということです。

私たちの内のほとんどの者は、全財産を売り払ってしまうことはできないと思います。家族を養い、一緒に生きていかなくてはならないからです。でも、「神さまがあなたと共におられる」と思えなくても、感じなくても、納得できなくても、理解できなくても、「神さまがあなたと共におられる」と認めることは、自分の財産を売り払うことです。「神さまが共におられる」という真実を1番にし、それ以外のことを2番に置くからです。

そのことを、できるところで、精いっぱいに、それぞれの歩みの中で生きていくように求められていいます。そういう新しい歩みになるように、お互いの中に神さまの存在を認め合う歩みになるように、一緒にお祈りしたいと思います。

稲川圭三

稲川圭三(いながわ・けいぞう)

1959年、東京都江東区生まれ。千葉県習志野市で9年間、公立小学校の教員を務める。97年、カトリック司祭に叙階。現在、カトリック麻布教会主任司祭。著書に『神父さま おしえて』『イエスさまといつもいっしょ』『365日全部が神さまの日』『神さまのみこころ』(いずれもサンパウロ)など。
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