思い出の杉谷牧師(3) 下田ひとみ

2017年9月1日06時57分 執筆者 : 下田ひとみ 印刷
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3 ストラウム先生

 

教会にはノルウェーにある本部から、1、2年の任期で宣教師が派遣されてきた。

神戸にある日本語学校を卒業して、そのまま鳥取に赴任となるケースが多く、神戸と鳥取では都市と地方の違いがあり、特に言葉においては方言の問題もあって、宣教師たちには相当な苦労があったことと想像される。

ストラウム先生もそんな中のひとりだった。

当時、ストラウム先生は40代半ばだったが、恥ずかしがり屋で内気な、少女のようなところのある人だった。

先生が生まれたのはノルウェーの小さな島で、兄弟が多く、家は貧しかった。幼い時から教師になりたいと願っていたが、家計を助けるために進学をあきらめ、家を離れて町の工場で働かなければならなかった。

夢を叶(かな)えて教師になったのは30を過ぎてから。宣教師への道はそのあとに拓(ひら)かれた。

その頃の先生は毎日の生活にとても満足していた。やっと教師になれたし、家族と一緒に暮らせるようにもなったのだ。先生の両親はふたりとも信仰深く、特にお父さんは、毎朝祈る納屋の床に膝の跡がつくほどの祈りの人だった。

先生はお父さんを愛し、お父さんが信じているイエスを愛していた。

子供の頃、「明日はベツレヘムに連れて行ってあげよう」といわれ、「イエス様が生まれたベツレヘムに行ける」と、嬉(うれ)しくて眠れない夜を過ごしたこともあったという。しかし、翌日連れて行かれたのは、「ベツレヘム」という名のクリスマス用品を売る店だったのだが。

だから神から宣教師への道を示されても、ずっと抵抗していた。

神様どうして私なのですか。ほかの人ではいけないのですか、と。ようやく訪れた家族との生活を失いたくなかったのだ。

しかし数年して、ついに先生は決心する。

「宣教師にならなければいけないのは、はっきりしていました」

そう先生はいった。

それは明確な神からの啓示だった。

朝も昼も夜も先生はこの思いに苦しめられ、悩ませられた。先生にとって何よりも大切なのは、神に在っての心の平安だった。しかし神に反抗を始めたその時から、この平安が失われてしまったのだ。

闘いに疲れた先生は、ある日とうとう降参する。

「神様わかりました。宣教師になります」

そう告白して初めて、先生は心の平安を取り戻したのだった。

遅いスタートだったので、日本語の習得の困難さが最後まで先生を悩ませた。

 

ある冬の夜のことである。

そのころ求道者の香奈江さんはストラウム先生にルターの小教理を学んでいた。

その夜はもうひとり求道者がくるはずで、先生はその人の好物のクッキーを焼いて待っていた。だが始まりの時刻を過ぎても何の連絡もないままにその人はあらわれず、香奈江さんひとりだけの学びが始まった。

「彼女は時々約束を忘れます」

その人にかぎらずこういうことはめずらしくはないようだった。先生の寂しげな微笑を見ながら、宣教師の生活というものについて、香奈江さんは考えさせられてしまった。

母国を去り、同胞と別れ、言葉の違う異国での暮らしとはどういうものなのだろうか。文化と習慣、意識の違い。気候風土・食物の違いなど。おそらく実際に経験した者でなくてはわからない、幾多の困難があるのに違いない。

日本の太陽は北欧人の眼には光が強すぎると、香奈江さんは聞いたことがある。梅雨の季節には決まって体調を崩す宣教師がいたし、ホームシックで気持ちがふさぎ、朝、起き上がれない宣教師がいるとも聞いた。

パール・バックの『戦う天使』では、宣教師たちの想像を絶するような荊棘(いばら)の生活が赤裸々に描かれている。貧困、差別、病気、迫害、死別、孤独――。

しかしそれらのすべてを神に委ね、宣教という名のもとに彼らは自らを献(ささ)げたのだ。

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ストラウム先生

その夜の香奈江さんとストラウム先生との学びの箇所は、天国について記されているところだった。

「私はこういうふうに考えます。天国というのは、イエス様がおられ、そのまわりにイエス様を信じる人たちがいるところです。そこではいつでもイエス様の話を聞くことができ、イエス様の姿を見ることができます」

先生の日本語はいつものようにたどたどしく、つたなかった。自信のなさが手伝ってか、ともすれば語尾も消え入りそうだ。

しかし香奈江さんはその憧れのこもった声の調子に目を見張らされた。それを語っている時のストラウム先生の表情に魅せられてしまったのだ。

外では雪がふぶき、寒風がうなっていた。だがストーブのある宣教師館は暖かく、静かだった。箱形のランプが部屋を琥珀(こはく)色に染めている。

その時先生は、黒地に赤や黄や緑をちりばめた編みこみ模様のカーディガンを着ていた。それにきらきらと輝く青い眼が映し出され、先生の姿がまるで夜空の星のように見えた。

「心を奪われるとはあのようなことをいうのですね」

後に洗礼を受けた際の祝いの会で、香奈江さんはこの時のことをこう明かした。

「その時私は自分がどこにいるのかを忘れてしまっていました。温かいものを体中に感じ、先生と一緒に、まさに天国にいるような気持ちになっていたのです。先生の隣にイエス様や大勢の聖徒の姿が見えるようでした。先生は天国をほんとうに信じておられるのだと、そのことがよくわかりました。先生にとって天国とは、信仰によって想像で思い描くものでなく、現実だったのです。帰り道、雪の中を歩きながら、涙が止まりませんでした。理屈ではわかっても、それまでどうしても実感できなかったこと。神様がおられること、天国が在ることが、私に初めて信じられたのです」

 

ストラウム先生のお父さんは、先生が鳥取の教会に赴任していたこの時に、天に召された。

その報せが入ったのは雪の降り積もった祈祷会の夜で、その時ストラウム先生は風邪をひいて高熱を出し、宣教師館で休んでいた。

「ストラウム先生の風邪を癒やしてください」

皆でそう祈りあっていたそのあとに、訃報が届いたのだった。

全員が衝撃を受けた。

杉谷先生が報せを伝えるために出ていったあと、皆は祈って待っていた。宣教師館は教会の敷地内にあり、ほどなくして先生が帰ってきた。

「明日、ノルウェーに帰られます。神戸まで、私が送っていきます」

「ストラウム先生はどんな様子でした」

「とても悲しんでおられました」

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次の朝早く私が教会に行くと、杉谷先生が宣教師館の前の雪かきをしていた。

「ストラウム先生の風邪の具合はいかがですか」

「それが、まだ熱が下がらんでなあ」

「そうですか」

先生と私はうつむいて、足元の雪を見つめた。

慰めの言葉をかけてあげたい。せめてそばで祈りたい。そう思いたち、はやる心で家を出てきたのだったが、いざとなると宣教師館のドアを開ける勇気が、私にはなかった。

寒い朝だった。シャーベット状になった雪の上に先生の長靴の跡が点々とついている。

スコップを持ち出し、私も雪かきを始めた。

「神戸には何時頃発たれます?」

「9時くらいかなあ」

灰色の空から間もなく雪が降ってきた。

先生と私は黙々と雪をかきつづけた。

 

ストラウム先生が鳥取に帰ってきた時、季節は春を迎えていた。

花壇のチューリップは風にそよぎ、色とりどりのパンジーが陽に照らされている。宣教師館の前の雪は溶け、乾いた土の地面が顔を見せていた。

ストラウム先生は思いのほか明るく、元気そうだった。久しぶりの帰国で、故郷の人々の歓待を受け、悲しみの中にはあったが、大いなる慰めもまた受け、信仰がさらに強められたようだった。

私たちは喜んだ。

ずっとあとになってストラウム先生から、あの雪の帰国の日、杉谷先生の運転で神戸へ向かう道中でのエピソードを私は聞いた。

高速道路に入り、一度休憩をとった。コーヒーを飲んでいると、杉谷先生が突然、「あっ」と声をあげた。

「どうしました」と、ストラウム先生は聞いたが、「いや、なんでもありません」という返事に、先生は故国の家族のことに思いを戻した。

だが、ハンドルを握りながら杉谷先生はずっと深刻な顔をしている。さすがにストラウム先生も途中から気になり始めた。

「杉谷先生、どうかしたんですか」

「いや、なんでもありません」

「からだがどこか悪いですか」

「そんなことはありません」

後日、杉谷先生は白状したが、実は休憩所に着いてから、運転免許証を忘れてきたことに気づいたのだった。

引き返すことはできない。車を置いて汽車で行くとすれば飛行機に間に合わない。

心の中で祈りながら、先生は高速を飛ばした。

下田ひとみ

下田ひとみ(しもだ・ひとみ)

1955年、鳥取県倉吉市生まれ。77年、鳥取福音ルーテル教会で杉谷秘伯牧師から洗礼を受ける。86年から91年にかけて沖縄本島に暮らし、現在は鎌倉市在住。逗子キリスト教会会員。著書に、『トロアスの港』『勝海舟とキリスト教』『翼を持つ者』『うりずんの風』(いずれも作品社)『雪晴れ』(幻冬舎ルネッサンス)『落葉シティ』(文芸社)。
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