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日本宣教論(44)天皇礼拝  後藤牧人

2017年7月26日13時31分 コラムニスト : 後藤牧人 印刷
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筆者の子どもの頃の、ファースト・ハンドの体験を少し述べたい。天皇の尊崇ということは宗教なのか、それとも当時の人たちからただの「タテマエ」と理解されていたのか、子ども心にもよく分からず、自分なりに調べていた。

1943(昭和18)年、戦争の2年目。小学校の4年の時に韓国人の同級生から「見よ、東海の朝ぼらけ」であったと思うが、その替え歌を習った。それは「天皇が便所でクソたれて・・・」というもので、「お前、そんなの歌ってたらケンペータイに引っ張られて銃殺だぞ・・・」と初めは彼を戒めたのだが、面白そうなので、つい全部覚えた。2番の歌詞は皇后も登場して、ワイセツになる。要するにとんでもない代物だった。

覚えれば、人に歌って聞かせたくなり、いろんな大人に歌って聞かせた。「こらっ! ボウズ、そんなの歌うんじゃナイ」と1度お百姓さんに怒られたが、あとは近所の大人はみな知っていたことが分かった。(もちろん、牧師の息子であるだけに、教会員の人には歌って聞かせなかった)

そのうちある日、日本陸軍の軍人が30人ほど道端で「組み銃」をして腰を降ろして大休止をしていた(組み銃とは銃口を上にして7〜8挺を持たせかけて立てる。休止の時はそうやって銃を三角錐の形に立てるのであった)。そこに行って「ヘータイさん」とか言っておしゃべりをしていた。(よく、そういう時は男の子は寄って行って、銃など見せてもらったものである)

それで「これ知ってる?」とか言って「テンノウガ便所でクソ垂れて・・・」を小さい声で歌うと、そこ違ってるとか言って訂正も入り、などしているうちに、やがてみなが歌い出し、ついに全小隊が大合唱してしまった!

1人歌わなかったのは、小隊長の少尉殿で(たぶん大学か専門学校出の20歳すぎくらいだった)ポツンとしていた。そのうち、休憩の時間も終わり、軍曹殿が大きな声で命令して、銃を担いで今度は正規の軍歌を歌いながら行進して行った。そんなことがあった。

そこで天皇を冒涜(ぼうとく)するようなことを言っても、公式の場でなければ、私的であれば別に誰も目くじら立てない、それが分かったのであった。

小学校に入ったのが、1940(昭和15)年、天皇は神であり・・・という教育を初めて受けて、いったい自分の家のキリスト教信仰の持ち方とどう違うか、 皆は本当に信じているのか、どうなっているのか、子ども心にそのようにして調べていたのだった。

そのような、いわばフィールド・スタディーの結果、分かったことは、天皇が神であることをチャンと教えてもらっているのは小学生だけで、大人は大して信じていないし、ニニギノミコトとアマテラスとの関係にしても、大人は細かいことは知らない。ただ、この教えで国をまとめて戦争をしていくのだ。戦争はともかくやらねばいけない、そうでないと日本は滅びる。日本中がこの考えでまとまっていく、そういうことになっているのだ、と感じたのであった。

この「天皇教」が宗教だとすると、祭司または宣教者は小学校の受け持ちの教師たちだった。修身の時間があるから、神話を教える、日本歴史があるから、そこでも神話を教える、国語にも神話が出てくるから教えるのである。

ところが中学以上の教師は、それぞれの専門科目があるから、一部の教師以外は天皇制イデオロギーを教えなくてもよかったようである。「神道イデオロギー」をチャンと毎日教えてもらっていたのは小学生だけ、毎日それを教えていたのは小学校の教師だけ、それ以外では軍隊で教えている、ということだったのかもしれない。

会社ではそんな教育はせず、だから町中の印象では、戦争は一生懸命やらねば自分たちが滅びるが、天皇が神かどうかはあまり大人は誰も気にしていなかった。「おてんチャン」とか「テンノウさん」がいるから「勝てるんじゃないの」くらいの会話が近隣の大人たちの会話だった。

戦勝祈念などで神社に全校で行っても、宮司は何も言わないで、ただおはらいするだけである。天皇を神と見立てて、供物を捧げるということはなく、天皇に対して唱えるべき祈りの定文はなく、天皇が長生きするように、戦争に勝利できるように「神」に祈念したのである。

天皇を神として、彼に対して祈りの言葉を出すことはなく、遥拝という深いお辞儀だけがあった。戦時中も、「これは宗教でない」という条項を守ろうとしていたのであろう。

筆者は、小学生としてのキリスト教信仰であったが、自分のキリスト信仰を禁じられたことはなかった。修身の答案などで「自分の家の氏神を記入せよ」というのがあると、「うちはキリスト教ですから、氏神はありません」と書いて出したりしていた。

1942(昭和17)年、小学3年の時、雨降りで体育の時間に教室で授業があったとき、その日は受け持ちが休んでいて、体操の教師が教室に来た。「この中でアメリカの宗教をやってるヤツがいたら出て来い、日本刀でタタキ切ってやる」とドナられたことがあった。町に教会は1つしかなく、そこの息子であることは皆に知られており、筆者のアダ名はずっと「アーメン」だったし、これは自分に言われたと思い、自分はもしかしたらここでブッ殺されるのか、イヤだが死ぬのかもしれない、と思った。

でも、牧師の子どもが殺された話はまだ聞いたこともないし、小学校には刀もないし、まあ大丈夫だろうと、そのまま座っていた。子どもの信仰で、大したことは分かってなかったが、ただ1つ自分はずっとイエス様を信じて生きていくので、自分にはそれ以外は考えられない、そういう感じがハッキリ自分の中にはあった。

配属将校というのがいて、精神訓話をした。また、教練といって上級生に銃剣術など教えていた。もともとは中学校以上に配属されるのだが、校長がゴマでもすったのか小学校に来ていた。それは1944(昭和19)年、1945(昭和20)年のことである。若くてハンサムな少尉殿で、そんなネコの手も借りたいときに、なんで小学校になど来ていたのか。病気だったのか戦場で腰を抜かして使いものにならなかったのか、いま思っても不思議である。

彼の話が一番首尾一貫しており、つまりただただ激越だった。無理のかたまりみたいな話で、日本は神国だから必ず勝つ、と夢みたいなことを言った。先生たちは彼のような激越なことは言わなかった。バカバカしかったので、最小限にしていたのだろう。結論は初めから決まっていて、天皇のために死ぬということだから、無理でも構わなかったのだろう。このカッコよかった少尉殿は、敗戦になっても実家に帰らず、町に居付いてヤミ屋になり、露店で何か売っている、という話をあとになって聞いた。

小学2年の時に『アンクル・トムの小屋(アンクル・トムズ・ケビン)』(ハリエット・ビーチャー・ストウ著)を読んで、米国社会の中の有色人種の運命の恐ろしさを感じた。黒人奴隷のトムには親切なクリスチャンの農園主がいる。だが、農園が破産すればどうしようもない。結局、トムは妻も子どももバラバラに引き裂かれて売られる。 個人の善意だけでは何にもならない。米国というのは社会の決まりがそうなっているのだ、と子ども心にも感じたのであった。

そのような英米の残虐さを聞くにつれ、ボクが信じているイエス様の愛の教えはどうなったのか、不思議に思ったことであった。家に帰って英米の残虐さのことなど言うと、父母は米国人の宣教師にも立派な人、親切な人がいるとか言う。ああ、うちの親たちは要するに分かってないのだ、と思っていた。今にして思えば、その「立派で親切な米人」も、やはり白人優越主義の思想構造のただ中にいたのである。

太平洋戦争の最中は、日本人は協力して戦った。だから、あれだけ持ちこたえることができた。では、その協力はどれだけが天皇制イデオロギーから出ていただろうか。庶民の感覚からは、天皇が神だから戦争に協力するという人はいなかっただろう。日本は滅びようとしている、国土と子どもと女たちを守るのだ、だから戦争に協力する。それが偽らざるところだっただろう。

先に述べたように、社会人に対しては神道イデオロギーを組織的に学習させる時間はなかった。隣組のおじさんおばさんたちのための学習の時間などもなかった。学習があったとしたら小学校、また軍隊の教育期間や各訓練校であった。その他では職場でも、近隣でも、組織的な学習のプログラムはなかった。訓話とか時局講話とかいって、一席の激励のようなものはあったが、神道イデオロギーの徹底などというものではなかった。

軍部の横暴はあった。しかし、日本の社会一般には密告制度はなかった。学校で子どもたちが親を密告するように、などと指導されることもなかった。

小学校3年の時(1942年[昭和17]年)に、ドイツの少年小説の翻訳をかなり読んだが、そこにはナチス思想に染まり切らない親たちを悩みながらも密告し、告発するペーターとかヘルムートといった名前の「少年英雄」が出てきて、カッコいいとか思ったものである。子ども心にも、そういう風に徹底できるのはスゴい、と思ったものだった。

だが、日本人である自分は、時々は親米的な言葉を出している自分の親たちを密告するなど思ってもみなかった。学校では、もちろん親孝行が強調されていた。小学生が親を密告する制度などなく、密告して行く機関もなかった。また、そういうことをした感心な模範少年の話なども聞いたことがなかった。

軍部による思想統制があったことは事実であるが、ナチス治下や、また東欧の共産主義政権下での思想統制とは違っていた。思想改造のための収容所はなかったし、また一般の社会人のための学習もなかった。隣組のおじさんおばさんたちのための思想学習などもなかったことは前に述べた。

では、どうして日本人の意識の統一を図ることができたのだろうか。それはやはり西欧の侵略の前に滅びようとしている日本の姿というものを皆が感じており、自ら結束していたからであろう。

品川教会の佐伯牧師は東大生だったが、戦争に対する消極的な抵抗として大学の軍事教練はサボリ、出たことがなかった。大学生は教練が終了していれば、兵役についたときは将校待遇になる。ところが、彼は教練の終了証がないので2等兵からやり、そのため反戦思想の持ち主だというので、かなり殴られたようである。しかし、このような反戦的態度にもかかわらず、投獄や告発はなかった。

回覧板でも新聞でも、スローガンはやたらにあったが、思想的な一元化を図らなかった。強制収容所はなかった。思想教育を大々的に行うことはしなかった。

ナチスや共産主義では、思想的一元化を熱心に行う。イデオロギーの徹底化を目指し、心従していない人を熱心に発見し摘発し、収容所に入れて社会から隔離し、再教育するプログラムができている。

日本には、それはなかった。たぶん、神道イデオロギーに頼らなくてもよかった、イデオロギーは初めからなかったということだろう。白人国によって包囲されて、やがて日本が滅びるのは誰の目にも明らかだったからである。

アメリカン・インディアンは、米国人にとっては「害虫」であり、「害獣」であった。日本もそのように狩り出され、滅ぼされる運命にあった。日本人はみな、それを漠然とではあるが感じていた。

(後藤牧人著『日本宣教論』より)

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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)

後藤牧人著『日本宣教論』

日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。

(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)

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後藤牧人

後藤牧人(ごとう・まきと)

1933年、東京生まれ。井深記念塾ユーアイチャペル説教者を経て、町田ゴスペル・チャペル牧師。日本キリスト神学校卒、青山学院大学・神学修士(旧約学)、米フィラデルフィア・ウェストミンスター神学校ThM(新約学)。町田聖書キリスト教会牧師、アジアキリスト教コミュニケーション大学院(シンガポール)教授、聖光学院高等学校校長(福島県、キリスト教主義私立高校)などを経て現職。

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