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神さまが共におられる神秘(15)自分の体を食べさせてまで分からせてくださる真実 稲川圭三

2017年6月18日05時30分 コラムニスト : 稲川圭三 印刷
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2014年6月22日 キリストの聖体
(典礼歴A年に合わせ3年前の説教の再録)
 私の肉はまことの食べ物、私の血はまことの飲み物である
ヨハネ6章51~58節

入祭のあいさつ

今日はキリストの聖体の祭日を迎えています。キリストが私たち一人一人のところに来て深く出会ってくださることを感謝して受け取らせていただく祭日です。

キリストは食べられるパンとなって私たちのところに来てくださいます。何のために来てくださるか。それは、私たちの中に永遠の神さまがすでに一緒にいてくださるという真実に深く出会わせるためです。

人間の中には神さまがお住まいになっています。一人の例外もありません。「神さまを知らない」「信じない」という人の中にも神さまは住んでおられます。そして、その真実の中にキリストは復活しておられます。

洗礼によってその真実に結ばれた私たちが、その真実との出会いを深めていくことができるように、イエスさまはご自分の体を食べさせてまで分からせようとなさいました。そして、そのことに私たちが出会い続けるようにと、記念の祭儀を残されました。それが、キリストの聖体の祭日に祝い、感謝する神秘の中心です。

私たちはそのことに出会わせていただいたなら、今日出会う人の中に「あなたの中に神さまがおられる」という真実を見て、祈り、告げる者となるようにと派遣されます。

今日、ミサの中で初聖体式が行われます。今年は18人の子どもが初聖体を受けます。神さまが一緒にいてくださる真実をより深く生きる者になるように、一緒にお祈りをしましょう。

説 教

今日の福音を聞いて、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得(る)」(ヨハネ6:54)とは何のことだろうと思われるかもしれません。この今日の福音の「私の肉、私の血」とは、ミサで食べられるイエスさまの体である「おん体」と「おん血」のことを指しています。

「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」と言われます(53節)。それは何を意味しているのでしょうか。

ミサの始まりにも申し上げましたが、私たち人間一人一人の中には神さまが共にいてくださいます。「神さまを知らない」「信じない」と言う者の内にも、神さまは共にいてお住まいになっておられます。そして、その真実の中にキリストが復活しておられます。

しかし、そのことは「出会わせていただかなければならない真実」です。神さまが共にいてくださるのに、その真実に出会わせていただかないなら、一緒にいてくださるその真実を、まるで「いてくださらないも同じ」ようにしてしまいます。ですから、その真実に出会わせていただかなければなりません。

その出会いを作り、支えてくださるのは聖霊というお方です。洗礼という秘跡を通し、聖霊によって私たちは、神さまが共におられ、その中にキリストが復活しておられるという真実に出会わせていただきます。そして「信じる」という恵みの関係に入り、神の子として誕生させていただきます。イエスさまは、「信じる者は永遠の命を得ている」(47節)と言われます。

しかしそのすぐ後で、「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」と言われます(53節)。それはいったいどういうことなのでしょうか。

私は、「人は誕生した後、食べて成長していく」ということをイエスさまがおっしゃっているのだと思います。誕生はただ一度ですが、成長していくためには日々食べる必要があります。神の子としての誕生も一緒で、まことの食べ物を食べて日々成長していかなくてはならないのです。「食べないと生きていけないよ」とおっしゃっているのです。

復活の後、ガリラヤ湖のほとりに立って、「子たちよ、何か食べる物があるか」(21:5)と言われ、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」(12節)と言われたイエスさまは、私たちの食べ物のことを配慮してくださるお方です。そしてこのお方は私たちに、朽ちる食べ物(6:27)ではなく、「まことの食べ物」を食べさせたいのです。

「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる」(56節)のお言葉どおり、ご自分が「共にいる」という真実をいつも私たちに食べさせ、内側から満たし、成長させたいのです。

今日、初聖体を受ける皆さん。今日、イエスさまの体といのちが皆さんの中に来て一緒に生きてくださいます。そうすると皆さんは、神さまが一緒にいてくださるということをもっと深く分かるようになります。

イエスさまが一緒にいてくださり、神さまが一緒にいてくださいます。それは安らぎと喜びと希望です。また、勇気と元気と力です。

でも、それで終わってしまってはいけませんね。イエスさまが私たちの中に来てくださったら、今度は私たちがイエスさまの中に入って、イエスさまと一緒に生きなければならないのです。つまり、人に親切にし、「神さまがあなたと一緒にいらっしゃいますよ」と伝える人にならなくてはいけないということです。

「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる」(56節)

キリストのおん体をいただく時、イエスさまが一緒の向きで生きてくださいます。私たちもイエスさまと一緒の向きで生きるいのちになります。

「私がキリストの内にいる」というのと「キリストが私の内にいる」というのとでは、どちらが受け取らせていただきやすいかなと考えてみたのですが、「キリストが私の内にいる」という方が受け取らせていただきやすいような気がしました。それは、ご聖体を食べると、安心や慰め、勇気や希望をいただいたりするからです。

でも、そこで終わってしまっては、イエスさまの片思いになってしまいますね。私たちもイエスさまの中に入って生きなければなりません。具体的にはどうすればよいのかといえば、「イエスさまの中に入って、イエスさまと一緒の業を行う」ということだと思います。つまりイエス・キリストは、出会う人の中に神さまがおられるという真実を見いだしてくださるお方ですから、私たちも人の中に神さまが共におられることを認めて生きるということです。

今日派遣されて帰っていく先で、出会う1人の人に皆さんが「神さまがあなたと共におられます」と祈るならば、いただいた恵みが2倍になるでしょう。2人の人に「神さまがあなたと共におられます」「キリストがあなたの内に復活しておられます」と祈るなら、恵みは3倍になるに違いありません。

ご聖体の恵みを通して、「神さまが共にいてくださる」という真実を深く受け取らせていただいたら、その恵みを人にも告げましょう。そのためにいただく恵みです。土の中に埋めておいてはいけなかったですね(マタイ25章「タラントン」のたとえ)。

今日、初聖体を受ける子どもたちのために祈り、私たちも「神さまが共にいてくださる」真実を人に告げ、祈る人にさせていただくよう、ご一緒に恵みを願いましょう。

稲川圭三

稲川圭三(いながわ・けいぞう)

1959年、東京都江東区生まれ。千葉県習志野市で9年間、公立小学校の教員を務める。97年、カトリック司祭に叙階。現在、カトリック麻布教会主任司祭。著書に『神父さま おしえて』『イエスさまといつもいっしょ』『365日全部が神さまの日』『神さまのみこころ』(いずれもサンパウロ)など。
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