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ボランティア100年やってます―救世軍もつらいよ―(最終回)ホームレス救済活動、今昔

2017年6月12日20時04分 執筆者 : 社会鍋100年調査隊 印刷
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関連タグ:救世軍社会鍋

ホームレス救済活動、今昔
横浜小隊 T川さん、T岡さん姉妹

広島県出身のT川、T岡姉妹は、今から30、40年前の救世軍の活動の様子を知る、貴重な証人だ。現在は、横浜小隊に所属し、長年にわたりホームレス救済活動などに携わっている。救世軍のホームレス救済活動として伝説となっているノア丸や、寿町でのホームレス救済活動の歴史について語ってもらった。

広島ノア丸でのホームレス救済

ノア丸というのは、廃船になった船をただで買い受けて、修理してから、救世軍が奉仕活動に使用していた船である。東京と広島にあったが、現在はもうなくなってしまった。東京の後に始まった広島のノア丸でさえ、姉妹が大学に入る前というから、今からもう30、40年前のことである。「漁船やぽんぽん船などのぼろ船を買って、山口から広島まで運んできていたようです。川をさかのぼって、広島駅近くの京橋川というところに浮かべて、宿泊所にしていたのです」と姉のT川さんは語る。

ボランティア100年やってます―救世軍もつらいよ―(最終回)ホームレス救済活動、今昔
(絵・太田多門)

姉妹の母親はクリスチャン。父親はクリスチャンではないが、救世軍の協力者だった。救世軍では、そのような人々を軍友と呼んでいる。母親は、他の信者の人たちと一緒に、ノア丸の食事を作りに行っていた。「お母さんが家にあまりいないでそちらばかりへ行くので、施設の子どもの方が幸せなんじゃないかと、うらやましがったこともありました」と妹のT岡さん。広島練炭という練炭工場を経営していた父親は、冬はノア丸のホームレスの中から臨時の労働者を雇っていた。

「何人か受け入れたが、そういう人たちは、仕事ができないし責任感がないし、お金をもらったら翌日は休むという感じでした。職長が、救世軍はろくなものが来ないといつもこぼしていました。明日の段取りをしているのに、翌日はもう来ないのです。だから、救世軍はあてにならない、ろくな者をよこさないと言われてしまうことがよくありました。救世軍があてにならないのではなくて、ホームレスの人を雇っているからなんだと言っても、職長や工場長から見たら、救世軍から来た人間だと思っているのでしょう。しかし、うちの親は、そういうことは知らないで賃金をちゃんと支払っていたようです」とT川さん。

父親の工場で慰安旅行があったときの話だ。父親はクリスチャンではなかったが、「新入りが酒瓶を持って行かなければならないところだが、救世軍から来た新入りは、救世軍の制服を着てくるから酒瓶を持たせるわけにはいかない」と話していたという。

ボランティア100年やってます―救世軍もつらいよ―(最終回)ホームレス救済活動、今昔
宿泊船「救世軍ノア丸」内でおむすびをほおばる親子

ノア丸の中には畳が敷いてあったが、冬は寒かった。そのため、練炭、火鉢、七輪を入れたり、コンロで暖をとっていたという。「それでも、屋根がついていて、雨露がしのげたので、路上よりはましだったのではないでしょうか」とT川さん。「とはいっても、ゆりかごみたいに揺れますし、川でも、海が満潮になると上がってきますし、そういう不便はありましたが」。ノア丸では、お酒は飲まないというのが条件だった。また、「ときのこえ」というトラクトを、乗員には配っていた。

戦前にも、東京でだるま船を使ってノア丸という救済事業を救世軍で行っていたことがあった。それがずっとなくなっていたが、昭和30年代ごろ、原爆のスラム街などがたくさんあった時代に職のない人があふれたため、救世軍が社会鍋で救済をするとともに、ホームレスの宿を冬の間提供していたのが、広島のノア丸の始まりだった。「資金はどうしていたのですか」との問いに、「救世軍本営から、社会鍋の募金で集めたお金の補助があったし、広島市からの援助も出ていたと思いますよ」とT川さんは答えた。

ボランティア100年やってます―救世軍もつらいよ―(最終回)ホームレス救済活動、今昔
1960(昭和35)年、「広島のノア丸」と当時の広島小隊長

横浜寿町でのホームレス救済

現在では、法律で禁じられているため、勝手にホームレス救済活動ができるわけではない。東京では2月第1月曜日から始まり、3月は休みで4月からまた開始する。大体、月に12回くらいである。横浜では12月に寿町で、身体障がい者の日に参加し、炊き出しをする。この炊き出しを寿町で始めた人は、救世軍で救われたF沢さんだ。「広島のうちの練炭屋にも来たことがある人なの」とT川さん。

F沢さんは、かつてホームレスで身体障がい者だった。広島でノア丸での奉仕を担当していたO田という小隊長が横浜の小隊長になっているときに、あちらこちらの救世軍をうろうろしていたF沢さんは、横浜小隊を訪れ、O田小隊長に再会したのだ。O田小隊長は現在西成で仕えているが、そのO田小隊長が横浜にいるときに、この炊き出しが始まった。

F沢さんは、当時中区身体障がい者の会の会長をしており、寿町に移り住んでいた。身体障がい者として人の世話になっているため、世間にお返しがしたいということで、障がい者の日にホームレス救済の炊き出しを始めた。お金がないので、ここで宿屋や洗濯場をしているオーナーのN村さん(クリスチャンではない)の宿屋を借り、救世軍には、おむすびとお漬物や佃煮を作って持ってきてもらうことになった。

そのF沢さんが亡くなったとき、葬式は仏教式で行われた。前の奥さんは、救世軍のお墓に入っていたが、次の奥さんが、F沢さんのお葬式をお寺で行ったのだ。亡くなりましたという知らせが、救世軍にあったのは、その後だった。しかし、救世軍のどこかには、F沢さんからの感謝状があるという。「ありがとうございました」と書いた感謝状を、F沢さんが救世軍に贈ったのだ。その後、奥さんも車椅子生活になり、皆で支えつつ、奥さんが会長を引き継いでいたが、去年か一昨年に亡くなられた。そして、この奉仕活動自体は、奥さんが亡くなってからも続いている。もう、15、16年続いているという。

T川さんが横浜に嫁ぎ、広島にいたというF沢さんに出会ったとき、「あなた、広島練炭で働いていたでしょう」と言ったことがあった。その時F沢さんは「行ったことない」と答えたが、その後、O田先生が特別説教に来られたとき、「私はO田先生が広島にいらっしゃった時代に、広島練炭に働きに行きました」とF沢さんが話しているのをT川さんは聞いてしまった。「工場でお食事を出していた母と私は同じ顔をしているのに、気付かないなんておかしいなと思いましたが。自分がホームレスだったということを隠していたかったのでしょうね」とT川さん。

救世軍のバザーで残ったもののうち、寿町で必要なものは、2トン車を使って大量に回していた。

その寿町に回ってからも、さらに近郊でバザーをしたりして、バザーの残り物を徹底的に用いて資金にした。F沢さんが責任者だったが、F沢さんが運転できないから、他の人が取りに来ていたという。寿町での炊き出しは年に1回行うだけなので、いつも物資は、横浜小隊に集まる。横浜小隊での炊き出しは、12月の最後の週、1月、2月、3月の頭まで、トータルで10回である。

横浜小隊前でのホームレス救済

現在では、そのようなホームレスの救済は行政が行っているが、いろいろと問題もある。行政が行うと、援助を受ける人たちが「お前ら当たり前だろ。給料、もらっているんだろう」と何かにつけいろいろな文句を言うというのである。しかし一方、救世軍が行うと「ありがとうございます」と皆おとなしくなり感謝する。そして、感謝することによって人が変えられていく。

ホームレス救済活動を行うとき、必ず声を掛けて、番号札で順番に物を受け渡すとき、「元気でしたか、風邪引いていないですか、ゆっくり食べていってねと、必ず声を掛けるようにしています」とT川さんとT岡さんは語る。

食事前になると、少しメッセージを話している間に、欲しいものを幾つか紙に書き出してもらう。生活用品や衣類、歯ブラシ、ひげそり、石鹸が欲しいなどのリクエストを書いてもらうのだ。リクエストできるのは、原則的に1回に1つだけ。それを、人々が食事している間に、奉仕スタッフが準備する。番号と名前を書いてもらい、ホカロンやかっぱなど、皆一律に同じものと、リクエストしたものとをセットにして、食後に手渡す。それぞれが具体的に勝手なことを書いてくるので、条件に合うものを見つけるのはなかなか難しいこともある。靴25センチとか、ズボン78センチとか、かなり指定が細かい。このために、バザーで売れ残ったズボンやカバン、リュックなどを、常日頃から取り置いている。

あちこちに呼び掛けて、男ものの衣料品、背広は常日頃から集めておく。特に、とっくりセーターやかばんが喜ばれる。かばんは、所帯道具を入れて歩くため、大きなものが人気だ。そしてもちろん、リクエストの品を渡すときにも、「ときのこえ」を一緒に手渡す。

「この前、『酒と女』って書いた人がいたので、品切れですと言ってしまいました。今日はないよって」とT岡さん。「半分お世辞もあるんでしょうけど、救世軍のカレーは、横浜で一番おいしいって言ってくれるんです」。「あっちは食えたもんじゃないよな。あれは味がうすいんだよな」と批評する人や、どこかの教会がパンをくれるというので、この炊き出しの後、金沢区まで歩いて行くという人もいるという。「しかし、元気な人でないと、ここまで来られないですよね」とT岡さんはつぶやいた。

ボランティア100年やってます―救世軍もつらいよ―(最終回)ホームレス救済活動、今昔
アジア太平洋障がい者の日の炊き出し 救世軍の給食車で

高齢化が進むドヤ街

本当に助けが必要な人は、ドヤ街から離れられないでいるのかもしれない。横浜の寿町も、以前は三大ドヤ街といわれ、労働者があふれていたが、最近は車椅子や杖をついた年寄りが目立つようになった。つい最近も、「労働者の町が福祉の町になってきた」と神奈川新聞で寿町のことが連載されたばかりである。

ドヤ街にはほとんどお風呂がない。寿町には、1軒だけ風呂があり、福祉の方で必要のある人のために提供しているが、まだまだ全然足りない状況だ。もちろん、ドヤ街には炊事場もない。簡易宿泊所をアパートに変えて営業するなど、システムを変えている所が最近増えてきている。簡易宿泊所は生活保護が受けられないという問題もある。

大阪の西成にはまだ労働者がたくさんいるが、横浜の寿町では高齢化が進んでいる。横浜の青葉区が、去年か一昨年の統計で、日本で最も長寿の区だったのに対し、中区が下から数番目だったのは、寿町が中区に入っているからかもしれない。

しかしながら、ここ3、4年で平均寿命が延びていて、寿町に年寄りが留まっていることが分かる。下から4、5位から十何番目くらいに浮上してきているのだ。中区は、県庁、市役所もあり、あまり人間が住んでいない官庁街でありオフィス街である。しかし、伊勢佐木町商店街、中華街、元町、寿町、山手などのさまざまな顔も持つ。石川町の駅で降り、元町と反対側に行くと寿町、上に行くと山手というお屋敷町。社会の縮図のようである。大変な格差社会なのだ。

全国的に1月は路上生活者が減っている。毎日新聞は、神奈川県は増えて、横浜川崎に集中と報じた。山手にも19人のホームレスが確認された。

O本大尉の話によると、役所はホームレスがいないと報告したいので、その日だけ撤去させた後調査の人が来て、「ホームレスはいませんでした」と言うことも多々あるという。実際の数は、もっと多いのかもしれない。

もう1つ、次のような話をO本大尉から聞いたという。ホームレスが毎回200人から300人並んでいると、つい最近まではしょっちゅうけんかがあったが、今はあまりけんかしなくなった。それは、高齢化してしまったためかもしれない。高齢化してお酒を飲むと、死んでしまうからだ。冬は、なんとしてでもお酒は控えているというホームレスも増えている。

昔のような、血気さかんな若々しいホームレスはいない。やはり救世軍がきちっとしたルールを作り、厳格に行っている効果が出てきているのかもしれない。O本大尉は体格がよく、けんかがあったらびしっと止めることができる人だ。「ルールを守れない人は来てはいけません」とO本大尉は言う。昔は、給食の列にも割り込んでくるような人がいた。そして、救世軍は、そういう人々を止めなければならなかったのだ。

救世軍の奉仕は、200人、300人ずらっと並んでいる中で、給食をしたり、衣服を配ったり、床屋をしたりしているのだから、大変である。1人の牧師が2時間くらいの間、賛美歌を歌ったり聖書の話をしたりしているが、全然聞いていないように見える。列を作っている人々は次々と流れていくが、救世軍の牧師たちは、それでも飽きずに熱心に、2時間くらいしゃべり続けているのである。これは、ある意味すごいことではないだろうか。心の中から出て来るエネルギーがなければできないことである。

レベルが高くなったホームレス

以前は、公園で神様の話をして、横浜小隊の会館の前で食事を提供していたが、近所から苦情が来るようになった。ホームレスの人たちの事故があったり、子どもたちが遊んでいるというのが原因だった。百何人がここに来ると、やはり壮観である。

この冬は、仕切るリーダーのおじさんがいて、明日は雨というときになると、前の日に電話がかかってきて、「テントさえ出しておいてくれたら俺たちで建てるから」と申し出てきた。2回雪が降ったが、片づけまできちんとしてくれた。番号札やリクエストカードを配ってくれるのはいいが、まだ配ってはいけない早い時間から配るときがあって困ることも。しかし、順番を崩しそうになった人がいると注意したりしてくれるのは、大助かりである。

このように、一部の人は、だんだん救世軍に同化してくるようだ。車が駐車する場も確保したりしてくれるのだから、驚きだ。T内さんは、ホームレスから信者になって、アパートを借りて自立した方である。もう病気で亡くなったが、サービスする側にまわって、そのおじさんと一緒によく奉仕をしていた。

「うれしいよね。長い間やっていると、言葉かけなんかもすごいもんね。やはりやると、こっちも慈善事業じゃないかなと思っていたけど、こっちのためにもなる。すごい充実感があるのね。自己満足だけでなく、皆から、ありがとうとか、寒いですねというとちゃんと言葉が返ってくるのよね」とT岡さん。

ただ与えているのではなく、お互いに気持ちをやりとりしてるんだなというのが分かるのがうれしいという。やりとりに慣れていくと、にこにこ笑いながら、きわどいような話も平気で返せるようになる。「楽しみなんですよ。その人たちの話を聞いて、頑張ろうねって言ってお別れするのが」とT川さん。

「お前たちがそんなことするからホームレスがなくならないんだ」という近所から苦情の電話が来たりすることも。しかし、「救世軍では、ホームレスがただもらうだけじゃなく、変わっていっているというのがすごい」とT岡さんは目を輝かす。

救世軍は、ただあげるだけじゃなく、その人が変えられて自立して、生活がレベルUPしていってほしい、そして究極的には神様に立ち返ってほしいという願いを持っている。意外にも、救世軍の軍律には、「信者を獲得しようとしてはならない」と書いてある。勧誘を手段としては使わないというのだ。勧誘という手段が見え見えだと、かえって抵抗を感じさせるからだ。

ホームレスのレベルは、年々上がってきているという。「今のホームレスの方たちは、物だけもらうんじゃない、みたいなところはあるよね」とT岡さん。また、やむをえずホームレスになった人も多い。「前は、変なタバコ2本鼻の穴に突っ込んでるような臭いおじさんが多かったけど、最近は、臭い人いないし、こぎれいにしているよね。簡易シャワーが浴びられるとか。おじさんの方がうちのお父さんよりよっぽどきれいと言うボランティアの人もいるくらい」とT川さん。配給のかばんにも、色のこだわりを見せる。「俺の好みじゃねーよ」「ごめんね、次に別のやついただいてくるからね」というような会話のやりとりもしばしばだという。

T川さんとT岡さん姉妹のお人柄からは、長年奉仕活動を続けてきた者ならではの、優しさと強さが伝わってくる。ホームレス救済活動と一口で言うのは簡単だが、実際に行い、それも数十年続けていくということは、大変なことだと思う。支援を受けていく中で、ホームレスの人々が変わっていくという話があったが、変わっていくのは奉仕される側だけではないのだろう。奉仕をする側も、人格が練られ成長していくのに違いない。

(文・社会鍋100年調査隊)

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ボランティア100年やってます

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