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こころと魂の健康(51)なぜ誕生日を祝うのか 渡辺俊彦

2017年6月6日07時40分 コラムニスト : 渡辺俊彦 印刷
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私たちは「なぜ誕生日を祝う」のでしょうか。私たちの生活の中で誕生日が1つの行事になっていないでしょうか。誕生日には、子どもたちの嗜好(しこう)に合わせた食事とケーキを食べ、お祝いします。そして、子どもが喜ぶプレゼントを贈ります。子どもたちは大喜びです。その喜ぶ姿を見ることは麗しいものです。

また、子どもだけではありません。愛する者たちの誕生日をお祝いすることはとても素敵なことです。しかし、世には残念なことですが、養育者から誕生日を祝ってもらった経験のない子どもたちが存在します。心痛みます。

私たちの教会は、子どもたちや教会員の誕生をお祝いします。いつからそうなったのか分かりません。しかし、誰かがケーキを焼いてきます。そして、歌を歌い、ケーキを食べ、お祝いします。ところが、そのケーキは一口であっという間になくなってしまいます。でも、とても麗しい豊かな時間です。そんな麗しい誕生日は何のために、何を目的にするのでしょうか。

私たちは、望まれ、愛されて誕生するものです。決して、愛されるために生まれたのではありません。もし、愛されるために生まれたのであれば、人生の目的は「愛されること」ということになってしまいます。そうなると、自己の存在価値や存在理由が、他者からどのように評価され、愛されているかにかかっているということになります。

このような価値観の中で養育された人は、「私は人の役に立たなければ何の価値もない」「私は人の役に立たなくなったら何のために生きているのか分からなくなる」という言葉を口にするものです。それは、「他者の期待にどれだけ沿う生き方ができるか」に価値を置いているということでもあります。その結果、常に人と自分、自分と人の比較と評価の中で生きるようになってしまいます。そして、自分の存在の価値や他者の存在価値を評価によって上げたり下げたりしてしまうのです。

このような人生観や価値観は、自分と人を傷つけ罪を生んでしまいます。このような人生観や価値観を相対的自己肯定感といいます。私たちは、意外と相対的自己肯定感で生きている人が多いのではないでしょうか。

誕生日を祝うということは決して、相対的自己肯定感の世界ではありません。むしろ逆です。なぜなら、誕生日を祝うということは「生まれて来てくれてありがとう。あなたが生まれて来てくれたのであなたと出会うことができました。とっても素敵な日です」というメッセージを送る日です。

これが、私たち人間ができる絶対的価値観のメッセージではないでしょうか。私たちができる絶対的価値観のメッセージを送る大切な時間こそ誕生日だと思うのですが・・・。この絶対的価値観のメッセージは、一人一人の存在そのものを喜ぶということです。

ですから、誕生日を祝ってもらえなかった子どもの悲しみは、プレゼントをもらえなかったこともあるでしょう。しかし、最も悲しい心の叫びは存在そのものを喜んでもらえなかったことに他なりません。これは、存在の否定そのものということではないでしょうか。

聖書は、決して相対的価値観のメッセージではありません。むしろ、聖書は絶対的価値観のメッセージです。イザヤは「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書43章4節)といっています。ヘブル書の著者は「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」(ヘブル13章5節)と主は言われるといいます。

人が私たちをどう評価しようが、神様は、「わたしの目には、あなたは高価で尊い」「わたしは決してあなたを離れず、捨てない」とおしゃるのです。これは、私たちにとって慰めの言葉です。

ところが、私たちが育った養育環境の中で「生まれてくれてありがとう」というメッセージをどれだけ受け取ってきたでしょうか。ドイツの精神科の医者は「人間は生まれながらにして人を愛する力はない」と言っています。そのとおりです。人間は、どのように愛され育ったかにかかっているのです。愛されたことのない者に愛は分かりません。

ですから、愛は学習です。それだけ、私たちの日常の営みの中で、誕生日は大切な意味を持っているのではないでしょうか。相対的価値観は相対的愛です。しかし、絶対的価値観は絶対的愛です。誕生日は絶対的愛のメッセージを伝える大切な時間と思うのですが・・・。

以前、こんなことがありました。ある方が教会にやって来ました。数カ月間、忠実に礼拝に出席し、熱心に神様を求めていました。もちろん、礼拝する姿も真剣です。しかし、なかなか福音が響かないのです。なぜか不思議に思いました。その方と個人的に話をして分かったことがありました。

その会話の中で本人は「私は愛されて育ってこなかったので愛が分からないのです」と話されました。そのため、「自分の存在理由、存在価値が分からない」とも言うのです。それだけ「愛されてこなかったという感覚」によって、実存的な苦悩を味わい続けてきたということなのです。

誰しもが、この世に誕生した日があります。イエス様は馬小屋の飼い葉桶で誕生しました。キリスト教会は馬小屋の飼い葉桶で誕生したイエス様を喜び感謝し祝います。それは、イエス様と出会うことができた喜びと感謝を共同体的に味わう時間です。私たちにとって、馬小屋の飼い葉桶で寝ているイエス様から絶対的価値観である神の愛のメッセージを受けることなのです。

「なぜ人は誕生日を祝うのか」を考えてみてはいかがでしょうか。

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渡辺俊彦

渡辺俊彦(わたなべ・としひこ)

1957年生まれ。多摩少年院に4年間法務教官として勤務した後、召しを受け東京聖書学院に入学。東京聖書学院卒業後、日本ホーリネス教団より上馬キリスト教会に派遣。ルーサーライス神学大学大学院博士課程終了(D.Mim)。ルーサーライス神学大学大学院、日本医科大学看護専門学校、千葉英和高等学校などの講師を歴任。現在、上馬キリスト教会牧師、東京YMCA医療福祉専門学校講師、社会福祉法人東京育成園(養護施設)園長、NPO日本グッド・マリッジ推進協会結婚及び家族カウンセリング専門スーパーバイザー、牧会カウンセラー(LPC認定)。WHOのスピリチュアル問題に関し、各地で講演やセミナー講師として活動。主な著書に『ギリシャ語の響き』『神学生活入門』『幸せを見つける人』(イーグレープ)、『スピリチュアリティの混乱を探る』(発行:上馬キリスト教会出版部、定価:1500円)。ほか論文、小論文多数。

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