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この人に聞く(34)路傍で一生伝道者として生きる土台を学んだ 新宿福興教会牧師 菅野直基氏

2017年5月19日13時24分 記者 : 中橋祐貴 印刷
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菅野直基氏=16日、新宿福興教会(東京都新宿区)で
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新宿区大久保と言えば「韓流の町」として有名だ。ただそれだけではなく、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会や日本福音ルーテル東京教会、単立や日本ホーリネス教団の東京中央教会、日本キリスト教会柏木教会など、大きな教会が集まる「教会の町」でもある。その一画で2001年から新宿福興教会(友愛グループ教会連合)を始めて今年で15年目になる牧師の菅野直基氏に話を聞いた。

菅野氏は平日の朝7時~9時、近くの駅前に立って路傍伝道をしているという。また、路傍伝道ネットワーク代表として、毎月、山手線外回り29駅を順番に路傍伝道をして回っている最中でもある。昔は盛んに行われていた路傍伝道だが、最近ではほとんど見かけなくなった。

なぜ路傍伝道を。

主の召しですね。私の家系の中にある召し、賜物です。父方は千年続く神社の神主の家系で、血筋においては私も神主になるはずでした。宗教家としての賜物が与えられていたのですね。母方は3代続くクリスチャンの家系で、祖父が牧師でした。その祖父は土佐から上京し、淀橋教会の小原十三司(おばら・とさじ、1917~72年在任)牧師の路傍伝道を通して救われたのです。「そこの罪人、どこへ行くのか」という昔ながらのざっくばらんな伝道で導かれて集会へ参加し、その日のうちに神様を受け入れました。ですから、私が路傍伝道を続けているのは、家系や歴史の中で導かれた「贖(あがな)われた賜物」なのです。

路傍伝道を始めたのは。

20歳前半の時からです。その頃はまだ、日本ホーリネス教団の東京聖書学院(東京都東村山市)の神学生でした。いろいろと苦しんでいた時期でした。そんな時に、伝道者のアーサー・ホーランド先生の本を読んだのです。アーサー先生が路傍伝道していると書かれていた新宿のアルタ前に行ってみましたが、その頃はもう路傍伝道はやっていなかったですね(笑)。

自分も同じようにやってみようと路傍伝道を始めたところ、こんなに楽しいことはあるのだろうかというくらい手応えを感じ、それから10年間、20人の仲間たちと続けました。このスタートが人生をすべて方向付けてくれたと思っています。

路傍伝道で何か出会いはありましたか。

妻と出会いました。1996年、韓国の日本福音宣教会(JEM)の短期宣教チーム120人が来日して、都内で伝道したのですが、なかなかうまくいかなかったようです。そんな彼らが、新宿アルタ前路傍伝道をしていた私たちと合流したことがきっかけで、一緒に盛り上がりました。韓国チームと食事をした席で、私が配っていた手作りの伝道チラシに興味を持った韓国人女性が、帰り際に「文通をしてくれませんか」と声を掛けてくれたのです。この女性と私は結婚しました。今では4人の子どもに恵まれています。

この人に聞く(34)路傍伝道で一生伝道者として生きる土台を学んだ 新宿福興教会牧師 菅野直基氏

新宿に教会を開拓されたのは。

やはり新宿で路傍伝道をしていて、「ここに教会を建てたい」という気持ちになったからです。路傍伝道していて絡まれたり、「殺すぞ」と脅されたりしたこともありました。路上ライブの場所取りもありましたが、それらも平和的に解決することを心掛けてきました。

2001年、大久保のカラオケスナックのママさんが格安で場所を提供してくれ、スナックで教会をスタートし、翌年、今の場所で新宿福興教会をスタートすることができました。

教会を始めてからも路傍伝道を続けているのですか。

私は、種をまき続けたいと思っています。1つの教会を建て上げることだけに集中するよりも、日本全体の教会がリバイバルすることを願うようにシフトしました。「路傍伝道は現代社会にマイナスではないか」「効率が悪いのではないか」という意見もあります。ただ、私は聖書的な根拠、つまり「大宣教命令」(マタイ28:19~20、マルコ16:15等)から、福音を伝える「ケリュグマ(κήρυγμα)」を使命の第一にしています。すべての人に福音を伝える「種まき」が、私の賜物だと思っているのです。

なぜ新宿なのですか。

路傍伝道は、渋谷、原宿、大久保と都内各地でも行っていますが、特に新宿には歌舞伎町という巨大な繁華街があります。だから新宿では、より多くの人に福音を伝えることができるのです。日本一、世界一といわれる乗降客がいますからね。

路傍伝道をしているその場でイエス様を受け入れた人もいます。それは今まで100人は超えていると思いますよ。洗礼を受けた人や、私の教会に来ている人もいます。

今の時代は、表面上は満たされていますが、仲間がほしい、寂しいという人が多いのではないでしょうか。心の隙間を埋めたいと相談してくる人もいます。またある時、通りがかりの女医さんがその場で救われました。彼女も疲れ切っていて、救いを求めていたのです。

路傍伝道で心掛けていることは。

ただチラシ配布をするよりも、音楽(賛美)と辻説法があると明らかにパワーが違いますね。新宿の繁華街などでは、聖書配布だけの伝道だと、1時間に1冊を受け取ってもらえればいいほうですが、私は賛美をして、短いメッセージをしているので、ガラッと雰囲気が変わります。

路傍伝道には、教会を出前しているという思いで取り組んでいます。教会の外であっても、神様の臨在、賛美の喜び、平安を強く感じます。ですから、その感覚を実際に肌で感じて教会へ足を運んでくれる人が多いのだと思います。

インターネットで誹謗(ひぼう)中傷を受けたことがあると聞きました。

2000年代初期にインターネット伝道に力を入れていました。ネットの掲示板で多くのクリスチャンと関わりました。当時はネット伝道をやる人はいなくて、大きなムーブメントになりました。大きな影響力があったと思います。

ところが、2006~2007年頃、掲示板で私に対する誹謗中傷が始まりました。まったく事実ではない中傷が10本のスレッドで1万以上も書き込まれたのです。不特定多数の人によるものでしたが、他宗教の方もいたようです。とてもつらかったのは、クリスチャンや牧師の間でも中傷記事が信じられて、批判を受け続けたことです。ある牧師はブログを立ち上げて私を批判しました。私に確認をすることなく・・・。

そんな時、神様が援軍を送ってくださったのです。ネット攻撃がまん延していく中で、誰彼となく味方をしてくれる人が現れました。「そこまで言うなら、証拠を出すべきだ」と。結局、発信者は証拠を出すことができず、誹謗をやめました。

その時、どのように対応したのですか。

これは悪魔の働きだなと思いました。敵は特定の人物ではなく、悪魔だと考えて、悪魔に100倍に復讐(ふくしゅう)してやろうと決心したのです。そこで毎朝、駅前で「100倍伝道」と称し、悪魔に負けないように福音を語り続けました。すべてをゆだねて駅前で路傍伝道にいそしんだのです。インターネット伝道に夢中になっていた私を、神様は、もう1度路傍伝道に引っ張り出してくださり、100倍以上の祝福を与えてくださいました。

私の路傍伝道は、神が家系や歴史を通して導かれたと思っています。路傍伝道を通して救われた祖父は、その後、牧師となって路傍伝道で教会を立て上げ、生まれたばかりの私を見て、母に「この子を必ず牧師にさせるんだよ」と言って天に召されていきました。そのことをずっと聞かされて育ちました。紆余曲折をへて私は神学生となりましたが、落ち込む毎日でした。そんな時、路傍伝道によって水を得た魚のようになりました。神学校では、神学や人格の成熟などを学び、路傍では神の力や信仰の戦いを学びました。こうして、神学的にも、信仰的にもバランスよく学べたおかげで、一生伝道者として生きることができる土台を築くことができました。結婚もすることができました。神様は、路傍伝道を通してすべての必要を満たしてくださり、豊かに祝福してくださいました。神様に栄光をお返しします。

新宿福興教会
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