ボランティア100年やってます―救世軍もつらいよ―(31)神に期待されて生きた人生

2017年3月21日18時32分 執筆者 : 社会鍋100年調査隊 印刷
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神に期待されて生きた人生
救世軍チャプレン N宮さん

救世軍チャプレンのN宮さんが救世軍に出入りし始めたのは、1955(昭和30)年の6月。まだ16歳の少年時代だった。N宮さんは東京で生まれて、間もなく戦争に巻き込まれた。両親は生後3カ月のN宮さんを抱えて、郷里の栃木に帰った。父親がコックだったので、両親はそこで食堂を営んでいた。以下は、N宮さんの献身の証しである。

中卒でコック見習いに

N宮さんの育った家庭は、N宮さんが長男で、下に弟や妹がぞろぞろいて、6人兄弟だった。N宮さんは勉強が好きだったので高校に行きたいと思ったが、貧乏をしていたので親に言うことができなかった。先生たちは、優秀だから上の学校に上げてくれと、親に頼みに来てくれたが、親は「それはできない」と言った。それで、仕方なく就職することにした。

中学を卒業したN宮さんは、1955年の5月に東京に出た。当時、救世軍本部のある神田神保町の近くに日本大学があり、その地下に食堂があった。父親が先に上京して、すでにそこで仕事をしていたので、N宮さんもコック見習いということで、父親と一緒に仕事をするようになった。

清らかな一生を貫きたい

東京に来てちょうど1カ月目の日曜日。N宮さんは、仕事が休みなので街にふらっと出てみた。街角で楽器の音がしたので、「何だろう?」と好奇心を持って近づいていったところ、救世軍の制服を着た人たちが路傍伝道をしているのに出会った。

それで、話を聞いてみようかなという気持ちになった。その夜、救世軍の会館で初めてキリスト教の話を聞いた。N宮さんが救世軍を初めて訪れた第一印象は、非常に清らかな雰囲気のする場所だなということだった。

集まっていた人々はいろいろな職業の姿だった。ある人はソロバンを持ち、ある人は自転車の修理工、ある人はコックさんのスタイルというふうに。それは、救世軍の言葉で言うと「印半纏会」という集会だったのだ。そこで、「私は信仰を持つようになって、こういうふうに変わりました」など、それぞれ自分の体験を話していた。

ボランティア100年やってます―救世軍もつらいよ―(31)神に期待されて生きた人生
(絵・太田多門)

最後に1人の人がN宮さんのそばに来て、「この世の中には肉眼では見えないけど、世界を造られた真の神様がいらっしゃる。人にはいろいろな生き方があるけれど、煎じ詰めると、真の神様の存在を知って清く正しく歩むか、それとも神様の存在などは無視して自分勝手な人生を歩むかしかない。人間は、皆そのどちらかの人生を歩むことになる。あなたのような若い時に神様を信じて、汚れのない清らかな人生を歩む決心をされると、きっと幸せに生きられますよ」という、分かりやすい話をしてくれた。

正義感に燃える青年だったN宮さんは、それまではあまり信仰の必要性を感じたことはなかったが、人生とはそういうものであれば、今晩から決心をして、うそも意地悪もないような清らかな一生を貫きたいと思って、救世軍に出入りするようになったという。

一生かけて救世軍の仕事を

幸い、職場は歩いて5、6分の近い距離だった。そのため、日曜のたびに、あるいは平日でも集会があるときに、たびたび足を運ぶようになった。それが2年くらい続いた後、N宮さんは、「やはり自分は、コックになるよりは、一生かけて救世軍の仕事をするべきではないか」と使命感を持った。18歳の時だった。

それから、救世軍の士官学校へと導かれ、聖書の勉強や説教の仕方、救世軍のいろいろな仕事をしていく上で必要な知識や技術を身につけ、訓練を受けた。その後は、仙台、会津若松、前橋、東京の士官学校の教官、横須賀と歩んできた。横須賀にいるときは、英国にある救世軍の訓練機関に3カ月勉強に行かせてもらった。N宮さんは中学の英語しか知らなかったが、比較的英語が好きで、易しい英語の本はかなり読んでいた。

神様が、育て導いてくださった

英国から戻ってきたらすぐに、米国から来ていた役職の方の通訳兼連隊副官という任命を受けた。それは1年間だったが、通訳の経験がほとんどないN宮さんが、いきなり通訳の仕事をさせられたのだ。ひっきりなしに辞書を引きながらの毎日だった。あらかじめお話の原稿をもらって、分からない箇所を調べておくという、苦労の多い時代を過ごした。

それからN宮さんの通訳人生が始まった。東京の総務部に移って、海外から来られる救世軍のリーダーたちの通訳の仕事を専門にするようになったのだ。周りからは、大学教育も受けずに独学で学んだ英語で通訳の仕事をこなすなど、果たしてできるのかと思われただろうが、多くの方の通訳をすることになった。

「そういう特権を与えられただけに、無学な私を神様が、救世軍の中で必要な人材として育て導いてくださったという思いが強いです」とN宮さんは語る。そのような働きを8年続けた後で、名古屋、広島の呉で6年過ごして、それから東京の婦人ホームに転勤になって、20数年勤めた。

病院のチャプレンとして

その後、救世軍の病院のチャプレンをしている。N宮さんは主に、患者さんやご家族の方のケア、スピリチュアル・ケアの面でのサポートや支援をしている。ここには199のベッドがあるが、年間200人前後の方が亡くなる。主にホスピスの患者さんだが、それ以外にも80~90歳代、あるいは100歳以上の方もいる。いつ亡くなるか分からない方がたくさん療養しているのだ。

今週は亡くなる方が1人もなかったという週はほとんどない。多い時は数日の間に2、3人続けて亡くなったりする。そういう時は、病室で聖書を読んでお祈りをさせていただく。親族だけのお葬式を希望される方のために、病院のチャペルや栄光室という霊安室で、チャプレン長はじめ合計6人で、交代で司式をすることもある。

「そういう意味では、患者さんやご家族の方にも喜んでいただいているのではないでしょうか」とN宮さんは語る。また、この病院は無料定額診療制度の指定を受けているため、支払いが不可能な方は無料で診療が受けられる制度がある。

与えられた人生をいかに生きるか

「私のような無学な人間が、救世軍の働きに導かれて50余年。いろいろと大切な仕事をさせていただいてきたのです。もし、救世軍に入っていなかったら、中学卒の私がこのような人生を送ることはできなかったと思っています」とN宮さん。

人間、生まれてくる環境は選択できない。N宮さんの場合は、どんなにもがいてみても大学を出る環境に恵まれなかったのだが、救世軍の中で神様はチャンスを与えてくださったのだ。そこで、神様に期待されているようなご用は、ある程度させていただくことができたという満足感はあるという。

「もしも裕福な家庭に生まれて、大学に行っていたとしたら、救世軍に来ていなかったかもしれないし、クリスチャンにならなかったかもしれないと思うとき、自分が貧しい生活環境の中に生まれ育ったのも、神様のご計画の中にあったのかなと受け止めて、感謝しています」とN宮さんは語る。

「経済的に豊かな家庭に生まれようが、貧しい家庭に生まれようが、与えられた人生をいかに生きるかが大切なのではないでしょうか」

(文・社会鍋100年調査隊)

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ボランティア100年やってます

【書籍紹介】
「社会鍋100年調査隊」編『ボランティア100年やってます―救世軍もつらいよ―

救世軍ってどんな組織? なぜそこまでやるの? 社会鍋―救世軍は米国慈善組織の中で最も効率の良い・・・!? 廃娼運動―暴力団に襲われて死者まで・・・!? そのパワーは、どこから? 社会鍋100年調査隊が、その謎に迫ります。

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