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刑務所伝道シリーズ(17)進藤龍也×五十嵐弘志 特別対談(2)どんな人でも変えられる

2016年11月29日16時42分 記者 : 守田早生里 印刷
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+刑務所伝道シリーズ(17)進藤龍也×五十嵐弘志 特別対談(2)どんな人でも変えられる
刑務所での面会も多い。五十嵐弘志氏は、「どんな人でも必ずやり直すことができる」と話す。
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マザーハウスでは、現在までにどのくらいの人が卒業していったのですか?

五十嵐    今まで文通していた人で、すでに出所してきた人が100名。そのうち約30名がマザーハウスに来て、真面目に社会復帰しています。洗礼まで導かれて、さらに結婚まで導かれる人もいますね。今までに結婚した人は5人いますよ。文通をしていても、彼らの多くが長期刑なので、刑務所の中にいる人の数の方が圧倒的に多いです。

教会へ足を運ぶ元受刑者について

五十嵐    教会へ行きたいという元受刑者には、信徒さんか私が付き添って教会に行きます。もう何人も受け入れをしている教会はよいのですが、元受刑者本人も、初めて教会に行くときは緊張しますからね。

進藤    「過去」のある人っていうのは、自分でも壁を作っているのでね。自分でも「どうせ俺は前科者だから」と思っていますよね。この壁を自分も社会も取り除いていかないといけませんね。よく巡回伝道していると、「実は、自分も~刑務所にいたんですよ」なんて言われることもあるんですよ。でも、その中の何割かは教会の誰にも言っていないと答えますね。仮面を被って教会に通い続けてる。苦しいと思いますよ。この辺り、教会の閉塞感を取り除く努力をしてもらえたら・・・と思うときもあります。イエス様の時代のことを考えると、イエス様の周りにいたのは、「遊女」「罪人」「取税人」でしたよね。立派な人たちって何をしたか? イエス様を迫害しようとしましたよね。

五十嵐    よく電話がかかってくるのは、「私の息子が犯罪を犯して、今、刑務所にいるんです。実は、私はカトリックの信徒なんです。でも、教会では絶対にこんなことを言えない」と言うんですよね。

進藤    本来、教会は自分のつらいことを話して、教会側はそれを受け止めて、全体で取り組むことが必要なのでは。かっこ悪いことを言えないのでは、仮面を被ったまま教会生活を送ることになる。

五十嵐    出所してきた人たちは、いきなり社会に放り出されて、帰る所もお金もない。生活保護もすぐには受けられない状況の中で、ホームレスになるか再犯するか・・・と二者択一のような状況になる人もいますよね。十字架があって、「どなたでもどうぞ」といった雰囲気の教会に元受刑者が引き寄せられて、相談に来る人もいるでしょう。その時に、拒むのではなく、テーブルについて「どうしたの?」と話を聞いてあげてほしいですね。知ることから愛が始まるのではないでしょうかね。

そうは言っても、高齢化が進むキリスト教会の中で、元受刑者を受け入れるということは、いろいろな意味で困難もあるのではと思いますが? 例えば一文無しの訪問者を、いきなり教会に住まわすことに関しては、環境がそれを許さない場合もありますよね? どうしたらよいのでしょうね?

五十嵐    簡単ですよ。知っている人のところに電話をすればよいのです。腹が痛かったら、医者に電話するように、どうしたらよいか分からなかったら、進藤先生や僕のところ、教誨師の先生のところに連絡をして、情報を得てください。

進藤    僕はね、1つ腹立たしいことがあるんですよ。よく、僕のところにも、全国の教会から連絡があるんですよ。「うちじゃ面倒見切れないから、進藤先生のところに送ってもいいか?」っていうね。それで、実際、送ってくるとそれっきり。電話の1本もしてこない。犬猫と違うから、送ってきた教会にも僕は関わってほしいと思うんです。電話1本して、様子を聞くとか。それから、うちだって元受刑者を教会に住まわせるには、カツカツの教会運営の中から献金を募ったり、なんとか工面しなきゃいけない部分もある。祈りと献金をもって、送ってきた側も共に支えてもらえたら・・と思いますね。

五十嵐    教会で傷を持ってしまう元受刑者もいますよね。過去の自分を告白できないことで、周りになじめないというか、なじむことを拒んでしまうのですね。

教会に来ても、再犯してしまう人もいるのでしょうか?

進藤    いますよ、もちろん。うちに来る元短期受刑者たちは、何度も犯罪を重ねているやつが多いので、特に難しい。でもね、もし何かやらかした場合は、すぐに警察に連絡しますよ。一方で、ここで本当にやり直す気持ちがあって、キリストとつながっているやつもいますから。それは、大したものですよ。何年か前までは塀の中にいた人間が、周りの人の救いのために証しとして立てられているのですからね。

五十嵐    キリストは「赦(ゆる)し」だから、これくらい許してくれるんじゃないか・・・と甘い考えの奴もいますね。

進藤    見当違いの「赦し」なんだよね。だから、警察に突き出す。そういう厳しさがないとダメ。僕らはね、キリストの愛によって赦されている。例えば、薬物中毒者は、「病気」だからしょうがない・・・と諦めたら、その先はないに等しい。でも、キリストによって新しくされた僕たちは、病気から「回復」するだけではなく、その先の更生を目指したい。イエス様によって、それは可能ですから。

刑務所伝道シリーズ(17)進藤龍也×五十嵐弘志 特別対談(2)
山形刑務所の前で。山形カトリック教会信徒の奥孝由紀さん(写真中央)と山形刑務所教誨師の岡摂也牧師(ウェスレアン・ホーリネス教団山形南部教会)と共に。刑務所伝道ミニストリーは、「罪人の友 主イエス・キリスト教会」が創設以来取り組んでいる働きだ。

刑務所伝道をしていると、いろんな受刑者がいると思います。無期懲役刑、または死刑囚もいるのでは・・・と推測します。日本では、死刑について賛否はあるものの、依然として、年に数人、十数人の単位で死刑が執行されています。それについては、何か思うことはありますか?

進藤    僕はね、死刑は反対。これは信仰者として、絶対に言える。なぜなら、人の命って、国家のものじゃない。神様のものだから。救われるかもしれない魂を人の手で滅ぼすのは、どうでしょうね。僕は神様が悲しまれるのでは・・・と思います。

一方で、死刑制度が議論されるとき、「被害者感情」というものがあると思います。生きている加害者が、神様を受け入れた・・・しかし、そんな余地すらなく、殺されてしまった被害者のことを考えるとき、遺族の方々の気持ちも穏やかではない・・というのは、理解できる気がしますが。いかがでしょうか?

進藤    それは、「あいつなんか、殺してくれ」という人もいるでしょう。でも、過去の殺人事件を見てみてください。被害者が一番苦しいのは、犯人が反省もしない、謝罪もない・・・そういった姿に、一番傷つき、怒りを覚えている。もし、犯人がキリストに触れて、本当に神様の導きに従うなら、そこに必ず「悔い改め」があるはず。その姿を見せることもできる。加害者を憎んだまま人生を送るなら、その被害者遺族は一生解放されない。日本には、自分の家族を殺した犯人を3日間、家に泊めたという人もいる。韓国には、被害者遺族が犯人の引受人になって、加害者だった人間を牧師になるまで育てたという人もいる。僕は、憎しみに生きるより赦した人の方が幸せに見える。

五十嵐    加害者がイエス様を受け入れて、悔い改めれば、おのずとキリストに生きるようになる。その姿を被害者家族が見ることで、心が和らぐのでは・・・と思う。祈りによって、被害者も加害者も変えられればと思う。どんな人でも変えられる。これがイエス様の奇跡ですからね。

では、「死刑」がある意味、犯罪を「抑止」する力になるといった考えについては?

五十嵐    抑止力にはなってないと思いますよ。だって、死にたくて無差別の殺人を起こす人もいるでしょう。

進藤    自殺はできない・・・でも死にたい・・・ってやつが、無差別で残忍な殺人事件を起こしてますよね。

五十嵐    イエス様も十字架上で死刑になったわけですよ。何も悪いこともしていないのに。しかし、イエス様の隣にいた死刑囚に「あなたは、今日、私と共にパラダイスにいる」と言ったじゃないですか。フィリピンは死刑を廃止。韓国はもう20年以上死刑を執行していない。なぜかと言ったら、両国とも教会が声を上げたんですよ。キリスト者たちが「死刑のいらない国をつくろう」と言ったのですね。日本のキリスト者たちも声を上げるべきだと思います。

文通などを通して、死刑囚とも交流があるのですか?

進藤    ありますよ。便箋7枚に、毎回、きちんと書いてくる。聖書を読んでいる様子がうかがえることもありますよ。

五十嵐    マザーハウスと交流する受刑者たちは、長期刑、無期懲役刑の受刑者が多いので、必然的に殺人を含む大きな犯罪が多く、中には死刑囚もいます。彼らの中には、虐待されて育って、中学もろくに行かず、教育委員会も知っているのか知らないのか、親に対して指導することも訪問することもなく、卒業させている。殺人を犯した瞬間に、全てこの子の責任を負わすのはどうなんでしょう。殺人を犯す前に、この子自身は虐待、いじめなどの被害者ではなかったのか。そこに社会は無関心を装っておいて、コトが起きてから「殺人者は死刑だ!!」と言っていいのか。もっと周りのことに、社会は関心を持つべきだと僕は思うんです。その子に対して、そこにたどり着くまで、誰も関心を持とうとしなかったし、関わりを持とうとしなかった。一方で、日本は中絶に対しては、かなり寛大です。赤ちゃんは生きよう、生きようとしているのに、それをなかったことにする。これも殺人ですよ。

今後の刑務所伝道について

進藤    今後も、根気強く続けていきますよ。長期受刑者のためには、なかなか出て来られないので、塀の中でも信仰を持って、それを持ち続けるように励ますこと。正直、どっちかくたばるまでの長い付き合いになりますからね。短期受刑者に対しては、「種まき」ですね。出所したら、どこの教会でもいいからつながって、今度こそ全うに生きてほしいという願いもありますね。一人一人に、僕は祈りをもって仕えていきたいと思っていますよ。

五十嵐    ラブレタープロジェクトは、今後も続けていきたいですね。このプロジェクトは、受刑者に対して・・・という意味合いもありますが、塀の外から手紙を送っているボランティアさんに対しても福音宣教になると考えています。

進藤    微罪にしろ、重罪にしろ、僕らも含めて、元受刑者というのは、一生十字架を背負って生きていくわけですよ。許してもらおうと思って生きていくと枯渇する。でも、進藤龍也、五十嵐弘志の原動力は何かと言ったら、世間には許されていないかもしれないけれど、神に赦されたということですよね。僕らは、世間に許されるために「ごめんなさい、ごめんなさい」って言いながらこの活動をしていたら、きっといつか燃え尽きる。でも、神様に赦されているという確固たる信仰がある。

進藤先生もやはり十字架を負っているのですね?

進藤    そりゃ、そうですよ。もう一生だと思う。以前ね、ある地方で集会をしたときがあったんですよ。とても良い集会だった。聖霊に満たされて、みんなが「ハレルヤ!」と言って、喜びに満ちていた。その集会の後に、あるご婦人が僕のところに来たんですよ。「進藤先生、ずいぶん立派になられて、良かったですね。私の夫は覚せい剤で捕まって、今、刑務所の中にいます。おかげで家族がバラバラです。神様は赦したかもしれない。でも、私は、あなたを許しません」とはっきりおっしゃった。つらかったですよ・・・ホントに。「サタンの仕業だな」とは思いましたが・・・。でも、僕は「申し訳なかった。僕は今、ヤクザではないけれど、元組織にいた人間の1人として、あなたに謝りたい。でも、僕は、僕の生き方を通して証しするしか、あなたにしてあげることはできません。どうか僕の生き方を見ていてください」と話しました。ご婦人は何も言わずに去っていったのですが、その2カ月後、メールを下さいました。「あの時は、申し訳なかった。実は、私はクリスチャンです。もう7年も教会を離れていました。でも、進藤先生に謝っていただいたことで、少し前に向かおうという気持ちになりました。教会に戻ろうと思っています」と書いてありましたね。しかし、こういう人ばかりではないでしょう。だから、一生、僕はキリストの証人として生きていく。これが償いですね。

五十嵐    僕らの犯した罪は消すことはできない。だから、犯罪者を作らないための社会作りが必要ですよね。「あいつは悪いやつだから、殺してしまえ!」ではなく、悪いことをするに至った経緯を見て、では、社会は今後、それをどう受け止めるか、どう動くか、どう関心を持っていくかにかかってくると思います。

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