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ビジネスマンから牧師への祝福された道(48)試練・苦難を喜びと思える理由を知る 門谷晥一

2016年11月20日23時54分 コラムニスト : 門谷晥一 印刷
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(ロ)試練・苦難を喜びと思える理由を知る〔34〕

ヤコブ1:2には「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」とある。私たちの生まれながらの性質からすれば、苦しいことがあったときに喜ぶのは不自然であり、嫌なときは嫌だと思い、苦しいときは苦しいと思うのが自然の情である。ではどうして、試練・苦難をこの上もない喜びと思えるのだろうか。

試練・苦難をこの上もない喜びと思える理由の1つは、ヤコブ1:3に「信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです」とある通り、信仰が試されるということである。信仰が試されるとは、神が私たちを、あるいは私たちの信仰を本物にするために、必要があって私たちに試練・苦難の道を通らせるということである。

これは、神が私たちをご覧になって、その信仰が本物か、そうでないのかが分からなくて、それで試すということではない。神は全知のお方であり、私たちの信仰の状態をよく知っておられる。それ故私たちの信仰を、ある試練・苦難を通過させることで、将来のために本物にしようとしておられるのである。

神は、私たちにそれなりに苦しい経験を通過させることによって、私たちの信仰が少しでも本物に近づくようになるようにとされるのである。そのように試練・苦難を喜びと思えるのは、神がこの私を本物にしようとしてくださっていることへの感謝から来るのである。

試練・苦難に遭うということは、神がそれだけこの私に対して望みを持ち、期待をし、待っていてくださることの証拠だということである。このように、神がこの私を育てようとして見ていてくださるということが、試練・苦難をこの上もない喜びと思える第1の理由である〔34〕。

試練・苦難をこの上もない喜びと思える第2の理由は、信仰が試されることで忍耐が生じるということである。聖書には至るところに、忍耐は私たちが持つべき大切な品性であり、力であると記されている。その忍耐とは、いろいろな出来事の中で簡単には動かず、またいつも神に対する信仰と期待とを持ち続ける状態のことを言う。

それは、身を潜めてじっとがまんしながら過ぎ去るのを待つような、また内にこもって、追って来る試練・苦難に無感覚になろうとするような消極的な姿勢ではなく、立つべきところにゆるぎなく立ち、それらの試練・苦難を正面から受け止め、さらに神により頼んで能動的に試練を乗り越え、勝利を得ようとするものである。

試練・苦難の中にいるときは本当につらいのであるが、それでも、そのことを通して少しでも忍耐という宝が与えられるのは幸いであると思うなら、それが喜びになってくる。つらい、嫌だと思うどんな経験の中でも、神はその中で私たちに忍耐を生じさせてくださろうとしておられることを、忘れないようにすべきである〔34〕。

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門谷晥一

門谷晥一(かどたに・かんいち)

1943年生まれ。東京大学工学部大学院修士課程卒業。米国ミネソタ州立大学工学部大学院にてPh.D.(工学博士)取得。小松製作所研究本部首席技監(役員待遇理事)などを歴任。2006年、関西聖書学院本科卒業。神奈川県厚木市にて妻と共に自宅にて教会の開拓開始。アガペコミュニティーチャーチ牧師。著書に『ビジネスマンから牧師への祝福された道―今、見えてきた大切なこと―』(イーグレープ)。

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