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後藤健二さんの思いをつづる著書出版へ 映像ジャーナリスト・栗本一紀さん

2016年11月17日21時40分 記者 : 守田早生里 印刷
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+後藤健二さんの思いをつづる著書出版へ 映像ジャーナリスト・栗本一紀さん
世界中を舞台に映像を撮り続ける栗本一紀さん。「世界に平和を」。後藤健二さんの言葉を胸に、これからも訴え続ける。
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私たちの目に衝撃的なあの映像が飛び込んできた2015年1月20日。それは、過激派組織「イスラム国」(IS)に捕らわれた国際ジャーナリストの後藤健二さんと千葉県在住の湯川遥菜(はるな)さんが、ナイフを手にした黒ずくめの男の横で、シリアの乾いた土の上でひざまずかされている様子をとらえた映像だった。

あの日から間もなく2年が過ぎようとしている。混とんとしている世の中は、さらに悪化の一途をたどり、悲しみと憎悪と若者たちのやるせない思いが渦を巻く深みへと押し流されているように見える。

しかし、後藤さんが身をもって伝えたかった世界平和への思いは、彼を慕い、愛した友人たちの手によって、今も語り継がれている。

映像ジャーナリストの栗本一紀さんもその1人だ。栗本さんに話を聞いた。

後藤さんとの出会いは、2005年。栗本さんが現在も住んでいるパリのカフェだった。同業者として、さまざまな話をしていくうち、すっかり意気投合した2人は、その後もメールやスカイプなどを通して連絡し合い、栗本さんが帰国したときには、東京で食事をしたり、近況を報告するなどして交流を深めていった。

「いつかこの人は、日本人の誰もが知るような偉大なジャーナリストになる」と直感していた栗本さんは、後藤さんの繊細かつ確かな仕事ぶりをいつかドキュメンタリーにして、番組を作りたいと望んでいた。本人ともその話を何度となく重ね、生前から後藤さんとの会話や出来事を日記のようにしてつづっていた。

「まさかこんな形で、日本中、いや、世界中の人々が後藤さんのことを知る日が来ようとは、想像すらしていませんでした」と栗本さんは話す。

後藤さんと最後に話したのは、彼が消息を絶つ直前の2014年10月24日。本腰を入れて、ドキュメンタリー番組の製作に入ろうと、イラクにいた後藤さんとスカイプで話をしたときだった。「こんな映像を撮りたい。こんな番組にしたい」など、2人で1時間ほど熱く話し合った。

「その日は夢中で話していたので、特に彼がどこにいるかとか、これからどこに行くかとかは、聞きもしませんでした。彼が海外にいてあちこち飛び回っているのは、彼にとって『日常』でしたから」と栗本さんは振り返る。

「30日には戻るから、またその時に!」と最後の言葉を交わして、通話を終了した。

翌日、彼からメールが入った。「実は今シリアにいる。昨日は黙っていて悪かった」といった内容だった。

「そっか、シリアなんだ・・・くらいの気持ちで、何も気にもしていませんでした。彼がシリアに行くのは初めてではないし、どうせいつものようにふらっとまた帰ってきて、連絡してくるに違いないと思っていましたから」

しかし、約束の30日になっても連絡がない・・・。にわかに栗本さんの周りもざわつき始めた。「後藤さんが、シリアで行方不明になっている」。そんな情報が、日本から入ってくるようになった。

そして、1月20日。その日は、和歌山県で映画の仕事をしていた。穏やかな和歌山県の美しい街で撮影をしていたその時、1本の電話が栗本さんの元に。「後藤さんがISに捕まっている。公開映像がすでにニュースでも流されている」。想像すらしていなかった最悪の状況に後藤さんが置かれていることを知った。

「助かってくれ」。それだけを祈った。しかし、彼の目に後藤さんは、うなだれるでもなく、命乞いをするでもない、「中継をしている」姿として映った。「後藤さんは、『こんなことがあっていいはずがない』という訴えを、あの映像を通して伝えていたのだと思います。身をもって『伝え手』の仕事をしていたのです」と話す。

事件以降、心の折り合いをつけるのに長い時間がかかった。今もなお傷は癒えないが、いつまでも落ち込んでいては彼に申し訳ないと、前を向いた。

後藤健二さんの思いをつづる著書出版へ 映像ジャーナリスト・栗本一紀さん
子どもたちが栗本さんの背中を押す。(2008年にコンゴ民主共和国で撮影、写真:栗本一紀さん提供)

栗本さんが映像の仕事に携わったのは、大学在学中から。「映像はうそをつかない。文や写真だけでは伝えられないことが、映像では一瞬で伝えられることがあります。そこが映像の面白いところ」と話す。

今もなお、世界中のあちこちを拠点にしながら、映像を撮り続けている。カトリック教徒の栗本さんが信仰を持つきっかけとなったのは、1980年代のブエノスアイレス。スラム街の子どもたちを取材しているときだった。

物もお金もないその街で奉仕をしているのは、カトリックの団体だった。子どもたちへ愛を注ぎ、懸命に仕える彼らに心を打たれた。南米にしばらくとどまっていた栗本さんは、その団体とともに、ブエノスアイレスでボランティアもした。子どもたちと一緒にゴミ山へ出掛け、資源になるものを拾い集めた。

一日が終わると、その資源をゴミ袋に変えてもらい、ごみ袋は街へ持って行くと食べ物と交換してくれた。子どもたちが命を削って生きる姿、カトリックの奉仕者たちの懸命さ、そして教会へ行くと、神父様からのお話に心を打たれた。

1988年、カトリック教会で受洗。南米を拠点にした後は、ニューヨークを経て、現在はパリで活動している。

後藤さんと聖書について話したことはないが、彼は必ず仕事場に「聖書」を持っていくという話は聞いていた。

「彼にはやり残した仕事がたくさんある」。栗本さんは、そう感じている。番組にすることはかなわなかったが、生前から書き溜めていた後藤さんとの会話のやりとりやさまざまな出来事を1冊の本にまとめた。来月末、法政大学出版局から発売される予定だ。タイトルは『ジャーナリスト 後藤健二 ―命のメッセージ』。

「後藤さんとの会話で一番印象に残っている言葉は?」と聞くと、しばらく考え込んだ後、「人間に与えられている幸運の量って、皆、同じなんだよね。僕は、もうその幸運をだいぶ使ってしまったような気がする・・・と話した言葉が忘れられない」と話した。

1冊にまとめたことで、「後藤さんの仕事の続きが終わったわけではない」と栗本さんは言う。これからもライフワークとして、彼の思いを自分なりのやり方でつなげていくつもりだ。「戦争がこの地上からなくなってほしい。平和な世界を次世代へつないでいきたい」と心を熱くする。

著書は、12月下旬には店頭に並ぶ予定。次世代を担う若者たち、小中学生でも読めるよう、漢字にはふりがなが振ってある。「スキャンダラスなことは一切書いていない。平和を願っていた後藤さんとの会話を切り取った本。多くの人に読んでいただきたい」と語った。

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