ボランティア100年やってます―救世軍もつらいよ―(21)明治の廃娼運動と山室機恵子

2016年11月1日12時05分 執筆者 : 社会鍋100年調査隊 印刷
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ボランティア100年やってます―救世軍もつらいよ―(21)明治の廃娼運動と山室機恵子

明治の廃娼運動と山室機恵子
救世軍資料館館長 A野さん

救世軍が日本にできたのは1895(明治28)年。ちょうど日清戦争が終わったときで、それから労働者階級の意識が芽生えてくる時期だ。そのような中にも、山室軍平は飛び込んでいった。また山室は、江戸時代から続いている人身売買、遊郭というものの廃止を強く訴え続けた。明治の廃娼運動と山室機恵子について、A野さんに話を聞いた。

廃娼運動の始まり

たいていは東北の貧しい農家の不作のために、娘を売らないと税金も納められないわけだから、矛盾した世の中だった。山室は政府も動かして、女性の立場を考慮して法律などを変えさせるような働きをしている。そして、明治33年に山室が廃娼運動をしたときに、売買契約した後でも、女性に脱出できることを勧めている。「救世軍に来なさい。それから付き添って行き、正式に自由になれる手続きをしてあげます」と。

もともと廃娼運動は救世軍が始める前に、自由民権運動の一環としてすでに始まっていた。まず1882(明治15)年に群馬県で実り、それがだんだん全国に広がったのだ。そもそも、72(明治5)年にマリア・ルース号事件というのがあって、日本の遊郭の女たちは皆、奴隷みたいなものだと外国から非難されたのだ。それで、明治23年には全国廃娼同志大会があり、その後宣教使モルフィの娼妓契約無効の勝訴、そして救世軍の運動につながっていった。

国が娼妓就業規則というのを出したのだが、それには裏があって、遊郭側に有利なように何とでもなる抜け道があった。それで、クリスチャンの女性たちが東京婦人矯風会(現・日本キリスト教婦人矯風会・初代会頭/矢島楫子[かじこ])を作った。そこが東京婦人ホームを作って、遊郭から逃げ出して来た女性を救っていた。

就業婦救済所の開設

それから、救世軍が廃娼運動を始めて、就業婦救済所を作った。山室の最初の妻の山室機恵子が所長になって世話をしたのだ。初めは就業婦救済所とあった看板を外して、「や萬室」とした。こういう名前を付けて、かくまっている場所とばれないようにしていた。遊郭から逃げてきた女性を保護している当時の写真が残っている。そのような女性を助けて、生活をさせていたのである。

それまでは遊郭の中で、遊びに来る男たちに仕えるだけで、礼儀作法というのはないため、お裁縫ももちろんできない。家では、畑を耕す生活だったが、今さら故郷には帰れないため、裁縫や作法、お茶の入れ方や家事などを教えて、良い家のお手伝いさんに出すのだ。そのようなことを、山室の妻が行っていた。しかし、逃げ出した女性たちが次々に来るため、悠長にはやっていられなかった。

ボランティア100年やってます―救世軍もつらいよ―(21)明治の廃娼運動と山室機恵子
(絵・太田多門)
ボランティア100年やってます―救世軍もつらいよ―(21)明治の廃娼運動と山室機恵子
遊郭で配付した「ときのこえ」。1900 年(明治33)8月1日「ときのこえ」婦人救済号を発行。その第1面に「女郎衆に寄せる文」が掲載された。3日のうちに、8500部を売り尽くした。

恐れられていた救世軍

効果があったのか、1901(明治34)年には遊郭で働く女性の数が、ものすごく減っている。当時の写真グラフなんかを見ると、救世軍がいかに恐れられていたかが分かる。見出しに「せっかく手に入れたものを奪っていく救世軍」とある。冗談話にも、こういうのがあった。誰かが煙草をくわえてふーっとやっていると、横から手を伸ばして、パッ。廃娼運動で暴力団に襲われて負傷した兵士だと、それを取ってくわえる。相手が怒ると、「俺は救世軍だ」と言う。「面白い話があったものですが、救世軍というのは、初めはそういうふうに社会に覚えられたのでしょうか」とA野さん。

救世軍は、時々遊郭に出かけて行った。機関紙の「ときのこえ」を配ったりして、廃業を促しに行くのだ。そういう所に救出に行くのは、殴られるために行ったようなものだ。もちろん、救世軍は殴り返しはしないから、殴られる一方である。当時の山田弥十郎という大尉が殴られかかっている写真が残っている。お巡りさんは側で見ているだけである。殴っている方は、皆、はっぴを着ている。一種の暴力団で、浅草から言問通りを通って、吉原へ行っていたのだろう。

もう1つ、州崎に遊郭があった。今は完全な住宅地になっているが、門前仲町の近くである。州崎遊郭は、そもそも根津にあった。不忍池の近くだが、1895(明治28)年に東大理学部の校舎が本郷にできることになった。それで、東大の近所に遊郭があるのはけしからんというわけで、州崎に移したのだ。ここにも救世軍は行っていた。

ボランティア100年やってます―救世軍もつらいよ―(21)明治の廃娼運動と山室機恵子
廃娼運動で暴力団に襲われて負傷した兵士

女中寄宿舎

初め、山室機恵子によって始められたのは、遊郭から脱出した女性の救済だった。その形が変わってきて、機恵子が作った女中寄宿舎となっていく。これは、東北の疲弊した農家から娘が遊郭に取られないように、救世軍の女中寄宿舎に預けて、その後で、大家(良家)の女中(お手伝い)になったらどうかという誘いである。誘い方は、遊郭の営業マンがやっていたのとよく似ていた。

家にお金はこれだけ入るし、3食事欠かない、娘にはいい着物を着せて・・・というふうなことで誘う。予防線だ。救世軍では、いいお家のお手伝いさんに行けるように、裁縫の練習をさせたり、いろいろと教えた。チラシをまいたり、農家に、何らかの方法で知らせに行ったりしていたのだろう。これを機恵子が行っていた。明治30年代のことだ。「機恵子さんも、自分の子どもがあるのに、よくそういうことをやったと思います。機恵子さんは、廃娼運動のパイオニアですからね」とA野さんは説明する。

廃娼運動が広がっていき、このままでいけば、結構上手く行くかと思われたときにブレーキがかかった。それは、軍国主義が盛んになっていく1935(昭和10)年あたりからだ。満州国ができた頃から軍部が勢いづいてきて、軍隊がある場所には遊郭が必要だという考え方もあったため、廃娼の勢いが止まったりもした。山室軍平や救世軍の先人たちは、そういう中にありながら、廃娼運動の全盛期を作り、遊郭の絶滅に力を注ぎ込んだのだ。

(文・社会鍋100年調査隊)

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ボランティア100年やってます

【書籍紹介】
「社会鍋100年調査隊」編『ボランティア100年やってます―救世軍もつらいよ―

救世軍ってどんな組織? なぜそこまでやるの? 社会鍋―救世軍は米国慈善組織の中で最も効率の良い・・・!? 廃娼運動―暴力団に襲われて死者まで・・・!? そのパワーは、どこから? 社会鍋100年調査隊が、その謎に迫ります。

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