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シドニー五輪銅メダリスト、岡本依子さんがリオ報告会

2016年9月11日20時48分 記者 : 守田早生里 印刷
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+シドニー五輪銅メダリスト、岡本依子さんがリオ報告会
その巨大さに「ただ驚いた」というキリスト像の前で(写真:岡本依子さん提供)
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日本選手団が41個のメダルを獲得し、日本中が沸いたリオ五輪。4年後の次回大会は、東京で開催されるとあって、より一層の盛り上がりを見せた。

残念ながらメダルに手が届かなかったものの、テコンドーの日本代表選手として唯一リオ五輪に参加した濱田真由選手。その健闘ぶりをテコンドー女子日本代表ヘッドコーチとして見守っていた岡本依子さんが3日、自身が代表を務める大阪市のテコンドースクール「DTS(Dream Tae Kwon Do School)」で報告会を行った。

報告会には、濱田選手も姿を見せ、気軽に写真撮影などに応じていた。リオ五輪での濱田選手は、1回戦は快勝したものの、準々決勝でエジプトの選手に敗れた。その戦いぶりを、岡本さんは「いい試合をしていたと思う。途中まで相手にポイントを許さず、よく頑張っていた。最後に頭上に蹴りをもらってしまったのは、もう『じゃんけん』で負けるのと同じようなもの。まだまだ若いので、次回、東京ではメダルを目指してほしい」と本紙のインタビューに答えた。

3日は「DTS」の設立5周年記念に当たり「スポーツファンデー」として、テコンドーの他、ピラティス、バレエの体験会もあった。テコンドーの体験会には、幼児から大人まで約50人が参加。次世代を担う元気な子どもたちの参加もあり、岡本さんの指導にも熱が入った。

岡本さんは「テコンドーは、まだまだ日本では市民権を得た『人気スポーツ』の域にはたどり着いていない。一方で今回、濱田選手が対戦したエジプトなどをはじめ、中東、ヨーロッパの選手の強化ぶりはものすごいものがある。日本のテコンドー界は、4年後の東京オリンピックに向け、課題はたくさんあるが、一つ一つをクリアして、盛り上げていきたいと思う」と話した。

シドニー五輪銅メダリスト、岡本依子さんがリオ報告会
体験会では自ら胴衣を着て演技を見せた=3日、大阪市のテコンドースクール「DTS(Dream Tae Kwon Do School)」で

テレビ中継の解説者としてリオに行っていたという岡本さんだが、キリスト像を間近で見ることができ、その巨大さに驚いたという。また、期間中、治安などの不安はなかったものの、ブラジルは貧富の差が激しい国であることも感じた。

「ブラジルはオリンピックで沸く美しい街並みのリオとはうらはらに、食事にも困るような子どもたちがたくさんいる国でもある。その子どもたちは、せっかく自分の国でオリンピックが行われているのに、見ることもその空気を味わうこともできない。何かそこに違和感を覚えた。選手村を見下ろせるホテルの一室で、リオ五輪が神様に祝福された大会になることを祈るのと同時に、こうした子どもたちのためにも祈った」とインタビューに答えた。

シドニー五輪銅メダリスト、岡本依子さんがリオ報告会
選手村を見下ろせるホテルの一室で、大会の祝福を祈った。(写真:岡本依子さん提供)

また、4年後に行われる東京オリンピックに向けて「日本でも、子どもの貧困が社会問題になっている。リオと同じく、日本でオリンピックが開かれても、見に行けない子どもたちがいるのでは・・・と思う。何かしらの道が開けるよう祈っていきたい」と話した。

この日、報告会と同会場で、元レッドソックス所属の川畑健一郎さんの講演会も開催された。川畑さんが野球を始めたのは、小学校入学前。少年野球時代から「天才少年」と呼ばれ、1997年には、第69回春の選抜高校野球大会に天理高校から出場。見事、高校野球の頂点に立った。

卒業を間近に控えたある日、片言の日本語を話す外国人から川畑さんのもとに連絡があった。「初めは、いたずら電話かと思った」と当時を振り返る。その電話の主は、ボストン・レッドソックスのスカウトマンだった。卒業後、レッドソックスとマイナー契約。高校から、日本のプロ野球を経験しない初めての選手となった。

当時は、野茂英雄選手、伊良部秀輝選手がメジャーで大活躍をしていた時代。当然、同じ日本人選手として高いレベルを求められた。18歳で渡米。言葉も通じない環境で、1年目は慣れるのが精いっぱいだった。2年目、ルーキーリーグで年間MVPを獲得。順風満帆の野球人生であるかのように見えた。日本からもメディアが殺到した。

転機が訪れたのは、渡米から4年目。外国人枠から外された川畑さんは、その年、メキシカンリーグで1年プレーしたが、翌年解雇。

ヘルニアを発症し、それからは、企業の野球チームや日本の地方リーグなどのチームを転々とし、29歳で引退。「僕は、野球しかやってこなかったから、他のことは何も知らなかった。引退した後、どうしたらよいかなど見当もつかなかった」と話した。

引退後、通っていた治療院で偶然、健康器具の営業マンに出会った。その営業マンの熱心さ、知識の深さにただ感動したという。すぐにその営業マンと連絡をとり、30歳で初めての転職を経験した。「名刺の出し方、営業マンとしての心得、お客様と話すときの姿勢など、一から勉強した」という。アスリートの経験から、目標を定めると、あっという間に営業成績は全国トップクラスになった。

「なぜ、自分はメジャーリーガーになれなかったのかと考える。それは、やはり目標に向かって、本気で挑んでいなかったのでは・・・と思う。トップアスリートは、目的意識が非常に高い。そして、その目標に向かって突き進む術を知っている。引退をしてから、なかなか就職先が見つからない選手が多いが、彼らのその能力を生かした就職支援ができるような活動をしていきたい」と話した。

川畑さんは現在、NPO法人アスリートヘルスマネージメントの理事として、企業や学校などでも講演。今後は、引退した選手の支援も積極的に行っていく予定だという。

川畑さんの母親は敬虔なクリスチャン。自身も現在、教会に通い、求道中だ。「メジャーリーグに行きたいと思っていても、自分にはその道が開けなかった。挫折も味わったが、全ては神様が備えてくださった道だと、今は信じている」と本紙のインタビューに答えた。

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